人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

藤井四段連敗せず30勝目

藤井四段連敗せず30勝目

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2017年7月7日 中日新聞朝刊

藤井四段が30勝目 初黒星後の対局を白星で飾る

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中田功七段との順位戦に勝ち、感想戦で笑顔を見せる藤井聡太四段=大阪市福島区関西将棋会館

中田功七段との順位戦に勝ち、感想戦で笑顔を見せる藤井聡太四段=大阪市福島区関西将棋会館
将棋界最多の公式戦29連勝を達成した最年少棋士藤井聡太四段(14)が6日、大阪市福島区関西将棋会館で行われた順位戦C級2組の対局で中田功七段(49)を破った。2日にプロ初黒星を喫した後、最初の対局を白星で飾り、公式戦通算30勝目を挙げた。
連勝はストップしたものの、藤井四段への注目は高く、この日も約40人の報道陣がつめかけた。午前10時、藤井四段の先手番で対局が始まった。王将の周りを駒で囲って守備を固める「穴熊」攻略で知られる中田七段に、自陣で穴熊を構築して臨んだ藤井四段。穴熊を崩そうとする中田七段と接戦が続いたが、午後10時14分、藤井四段が正確な読みで長丁場の戦いを制した。
終局後、藤井四段は「連勝に関係なく普段通りの気持ちで臨もうと思ったが、前回負けているので、以前より勝敗にこだわる感じになった。次も今まで通り全力で臨みたい」と話した。
次回は11日、若手棋士が参加する加古川青流戦で都成竜馬四段(27)と対戦する。
藤井四段は昨年12月のデビュー戦から快進撃を続け、6月26日には30年ぶりの新記録となる29連勝を達成。しかし、今月2日の対局で佐々木勇気五段(22)に敗れ、連勝記録がストップした。
産経ニュース 2017.7.6 23:12
http://www.sankei.com/west/news/170706/wst1707060093-n1.html

2017年8月17日追記

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2017/08/16 中日新聞朝刊

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2017/08/16 中日新聞朝刊

藤井五段誕生

2018年2月6日追記

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2018/02/02 中日新聞

藤井蒼汰六段誕生

2018年3月11日追記

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2018/03/09中日新聞

2018年3月14日追記

藤井聡太六段、最年少四冠王史上3人目

2018.3.13
王将戦1次予選で師匠の杉本昌隆七段(右)に勝利した藤井聡太六段。70対局、59勝11敗で8割4分3厘、29連勝で2017年度の記録全4部門の1位が確定、最年少「四冠王」となった=8日、大阪市関西将棋会館 王将戦1次予選で師匠の杉本昌隆七段(右)に勝利した藤井聡太六段。70対局、59勝11敗で8割4分3厘、29連勝で2017年度の記録全4部門の1位が確定、最年少「四冠王」となった=8日、大阪市関西将棋会館
将棋の最年少プロ、藤井聡太六段(15)が2017年度の記録全4部門(勝率、勝利数、対局数、連勝)の1位が確定、最年少「四冠王」となった。13日、日本将棋連盟が発表した。4部門1位独占は史上3人目で、日本中を沸かせた中学生が快挙を成し遂げた。
17年度はこれまで70対局、59勝11敗で8割4分3厘、29連勝(16~17年度)で3月末まで数局を残し、1位が決まった。
連盟によると、四冠王となったのは羽生善治二冠(47)と内藤国雄九段(78)。羽生二冠は過去4回達成しており、最初は1988年度(64勝16敗で8割0分0厘、80対局、18連勝)、18歳の時でこれまでの最年少記録だった。
部門別の過去最高記録は、藤井六段の29連勝のほか、勝率は8割5分5厘(47勝8敗)の中原誠16世名人(70)。勝利数、対局数はともに羽生二冠の68勝、89対局となっている。
藤井六段は2016年10月、最年少の14歳2カ月でプロ入り、加藤一二三・九段(78)の最年少記録を62年ぶりに更新した。今年2月1日に最年少の五段に昇段。同17日には朝日杯オープン戦で第一人者の羽生二冠を破るなどして、最年少15歳6カ月での棋戦優勝とともに最年少六段となった。
勝率、勝利数、対局数、連勝の四つは、年間の成績優秀棋士に与えられる「将棋大賞」記録部門の表彰対象となっている。
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/180313/soc1803130014-n1.html

2018年3月26日追記

藤井聡太四段30連勝ならず

藤井四段止まった 公式戦初黒星 大台30連勝ならず “イケメン棋士”に苦杯

 将棋の最年少棋士藤井聡太四段(14)が2日、東京・渋谷区の将棋会館で指された竜王戦決勝トーナメント2回戦に臨み、佐々木勇気五段(22)に敗れ、公式戦初黒星。デビューから続いていた、自身の持つ公式戦での連勝記録は29でストップした。

 この日の対局相手の佐々木五段は、羽生善治3冠、渡辺明竜王を公式戦で破っている強豪。攻めの鋭さに定評があるほか、スイス生まれの“イケメン棋士”としても話題になっている。藤井四段が歴代1位の29連勝を達成した6月26日対局は将棋会館に足を運んで視察、「周りの雰囲気には飲まれず、連勝を止める気で臨みます」と連勝ストッパーとして自信をのぞかせていた。

 藤井四段はプロ入り前の奨励会三段だった昨年5月、将棋イベントの公開対局で敗れている佐々木五段に対し、中盤までリードを許す展開。持ち前の終盤力で打開を図ったが、相手の鋭い攻めの前に盛り返せず、デビュー後初となる投了に追い込まれた。

 6月26日の同トーナメント1回戦では増田康宏四段(19)との10代対決を制し、公式戦新記録となる29連勝を達成。日本中が熱視線を送る中、昨年12月の初対局から快進撃を続けてきたが、白星街道はひとまずストップとなった。
7/2(日) 21:32配信スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170702-00000133-spnannex-ent

中日春秋

 <記録に並ぶは七月一日。そこからさらに十二試合、驚き桃の木の大選手>。「ジョルティン・ジョー・ディマジオ」(レス・ブラウン楽団)は一九四一年、全米で大ヒットした。陽気で軽快な曲を訳してみれば、こんな雰囲気だろう
▼歌の主人公はニューヨーク・ヤンキースジョー・ディマジオ。この年五月から七月にかけて大記録を達成した。今なお破られぬ五十六試合連続安打である。映画の宣伝みたいに書けば、新記録に全米が熱狂した
▼比べたくなる中学生棋士の大記録である。藤井聡太四段が公式戦二十九連勝を達成した。快挙に日本中が興奮しているとは言い過ぎか。連勝など連続のかかる記録には不思議な魅力があるようで、われわれ自身も同じ時代に居合わせた者として少年の飛行機に一緒に乗り、高い場所に向かっている。そんな興奮がある。さあ、どこまで連れていってくれるのか
▼されどである。験の悪いことを書くが、勝負である以上、連勝はいつかは止まる。才能の真価が問われるのは、おそらくその後である
ディマジオを引いたのは記録が途切れた後の話を書きたかったからである。五十七試合目に無安打に終わったディマジオ。失望も気落ちもせず、次の試合からまた十六試合連続で打った
▼新記録は新記録。だが、大棋士への道はその先にある。そんなこと、聡明(そうめい)なる四段は百も承知だろうが。
2017年6月28日 中日新聞 中日春秋(朝刊コラム)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2017062802000123.html

連勝 藤井聡太四段 紙面で見る「成長の記録」:中日新聞(CHUNICHI Web)

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※連勝中ここに何か書いたら連勝が止まるといかんから書けなかった。
兎に角すごいね。
その内取ってある新聞の切り抜きを貼る。

ブラタモリ

また来てちょ

https://img.atwikiimg.com/www45.atwiki.jp/jippensha/attach/72/5420/23_%E3%81%BE%E3%81%9F%E6%9D%A5%E3%81%A6%E3%81%A1%E3%82%87.jpg
2017年6月17日中日新聞朝刊
縦読み『また来てちョ』

熱田台地(名古屋台地)
Google Maps 名古屋台地 笈瀬川 江川 街道

ブラタモリ名古屋視聴率

https://img.atwikiimg.com/www45.atwiki.jp/jippensha/attach/72/5421/24%20%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA%E8%A6%96%E8%81%B4%E7%8E%87.jpg
2017年6月20日中日新聞朝刊

尾張徳川家の十九代目当主・徳川義親

尾張徳川家の十九代目当主・徳川義親

 幕末の傑物・松平春嶽(しゅんがく)の実子にして、尾張徳川家の十九代目当主・徳川義親(よしちか)氏は、「虎狩りの殿様」と呼ばれた。マレー半島で野生の虎に襲われそうになりつつ、ひるまずに仕留めたという武勇伝のためだ
▼そんな「殿様」が言葉を武器に時の政権に挑んだのは、一九二五年三月十九日のことだ。その日、貴族院本会議では、治安維持法案の採決が行われようとしていた
衆院への法案提出から、わずか一カ月。大臣の発言は脱線続きで、官僚が釈明に追われた。言論や思想の自由を脅かしかねぬものとして世論の反対は強く、衆院で可決された時は「満天下の非難をよそに、生まれ出(い)づる悪法案、多数の力でひた押しに遂(つい)に衆院を通過す」と報じられた
貴族院での審議時間は、ごくわずか。そういう状況での採決に、侯爵・義親氏は「特権階級中の特権階級である我々がこの法案に賛成せぬのは、勇気がいること」と断りつつ、反対意見を述べた
▼治安維持というが貧困という根を絶たねば、過激思想という葉も枯れぬ。政府は言論弾圧など乱用を許す曖昧な点はないと言うがとても信じられぬ。ひとたび誤用されたならば、その結果は極めて恐ろしいものになる、と
▼そんな「殿様」の警鐘が九十年余の時を経て、生々しく響く。「共謀罪」という虎が放たれた今、ひるまずに、言論という武器を使い続けることができるか。
中日新聞 中日春秋
DATE:2017年6月16日(金)
URL:http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2017061602000108.html