兼高かおる
兼高かおる
2019年1月10日中日新聞
中日春秋
最初の取材旅行に出発する時には、羽田空港のロビーに、のぼりが立ち、万歳三唱が響いたという。一九五九年のことだ。今ならば、日本の若い女性が、スペースシャトルにでも乗るような騒ぎだったと、旅行ジャーナリストの兼高(かねたか)かおるさんは、著書で振り返っている。宇宙ほども遠い世界を目指した冒険のような旅である
▼一ドルは三六〇円で海外渡航は自由化前。「夢のハワイ旅行」がクイズ番組の賞品になるのもまだ先のことだった。そんな時代に始まる紀行番組「兼高かおる世界の旅」は、お茶の間から遠い国々を見る小さな窓になる
▼日曜の朝、家族とともにテレビで遠い世界を見るのが習慣だった方も多いだろう。得意の語学力に加え、兼高さんの旺盛な好奇心と行動力が番組に精彩をもたらす。九〇年まで続く長寿番組になった
▼国の大小を問わず旅して、名もない人にも大物にも接してきた。難民収容所から王宮へと向かったこともある。有力者にここに残れと言われて逃げたり、島をプレゼントされたり。冒険譚(たん)も多い
▼「地球は丸いといいますが、わたしは自分で見るまで信じません」。若いころそう話したという。旅の驚きを多くの人と分かち合う喜び。それが原動力だったようだ。その力のおかげだろう。小さな窓の向こうの異国情緒は今も思い出せる
▼九十歳で他界された。旅に生きた人の旅立ちである。
中日新聞 中日春秋 2019年1月11日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2019011102000118.html
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