人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

藤井聡太

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史上最年少プロ棋士藤井聡太の「最強伝説」はこうして始まった

http://ironna.jp/article/6445?p=1
『Voice』 2016年12月号

藤井聡太将棋棋士

聞き手=タカ大丸(ポリグロット<多言語話者>)

 藤井聡太四段(10月1日付で四段に昇格)は、9月3日に最終日を迎えた第59回奨励会三段リーグ戦で1位となった。1954年に加藤一二三九段が14歳7カ月で達成した最年少記録を62年ぶりに更新し、史上最年少(14歳2カ月)プロ棋士が誕生した。過去に中学生でプロ入りを決めたのは、加藤九段のほかに、日本将棋連盟会長の谷川浩司九段、羽生善治三冠、渡辺明竜王の4名だけである。

 将棋のプロになるには必ず棋士一人の推薦を得て師匠となってもらい、日本将棋連盟が運営する奨励会というプロ棋士養成機関に入会しなければならない。最初は六級からスタートするが、県代表・アマ五段と奨励会の六級がほぼ同じレベルである。小学生のうちにこの奨励会に入らないと、まずプロになることはない。

 入会後は、各級・各段で規定の勝率(6連勝・9勝3敗など)を上げながら、昇級・昇段を重ねる。三段になると三段だけで構成される三段リーグ(年2回)で戦うことになるが、四段に昇格できるのは上位2名だけだ。今回の三段リーグの場合、29名が参加し、藤井四段を含め上位2名が昇段した。三段リーグ奨励会トップの棋士が集い、勝ち上がるのは容易ではない。
将棋の世界は三段まで無給で、四段からプロ棋士となり報酬がもらえるようになる。そして、年齢制限が厳然と存在する。26歳までに四段昇段、つまりプロになれない場合は原則退会である。三段リーグのなかで10代は3名しかいなかった。しかも2名は「19歳」である。そう考えると、藤井四段の凄みがよくわかる。

 私は、藤井四段がまだ小学6年生、奨励会初段のときから、成長を見届けている。小6で初段(最終的に二段になった)という記録は、羽生三冠、渡辺竜王を上回る早さである。今回は藤井四段の母・裕子さんの同席のもと、昇段直後の心境や将棋に打ち込む思いを聞いた。

――藤井四段が昇段を決めた例会当日、将棋連盟で待ち伏せしていたのですが、お父さまと肩を並べながら談笑する藤井四段を見かけて驚きました。多くの奨励会員は、たいてい、青ざめた顔で将棋連盟にやって来るものです。

藤井聡太(以下、聡太) あの日は、それほど緊張しませんでした。

――会場に入って、周囲からの威圧感はありましたか。大学生以上の棋士のなかで、1人だけ中学生が紛れ込んでいる。「こいつだけは上に行かせたくない」という思いは強いはずです。

聡太 昔から大会で年上とばかり指していたこともあり、特別な違和感やプレッシャーはあまりないですね。奨励会に入会してからはとくに、同級生と対局することも少なくなりましたし。

――しかし、藤井四段は第一局目を落としてしまいました。どこで間違えたのですか。

聡太 あとで知ったのですが、対局相手の坂井三段は「昇段者キラー」で有名だったようです。序盤、中盤は順調だったのですが、終盤で悪くしてしまい、逆転されてしまった。

――第一局が終わると、二局目の前に昼食が出ますね。その間、どのように過ごされていたのですか。

聡太 昼食は食べませんでした。奨励会は東京と大阪に本部があり、大阪で行なわれる対局だと、いろいろなメニューから好きな食事を選べるんです。でも、東京の場合なぜか、おかずが詰まった弁当しか出されない。僕はチャーハンのような一品物が好きなんです。ご飯とおかずというのは何か重い感じがして、その日もお弁当は口にしませんでした。

――午後の対局を前に、昇段争いは4人に絞られていました。午前中に勝った大橋三段がまず一抜けを決め、藤井三段を含む残り3人は全員負けていた。つまり、この日までに12勝4敗で首位に立っていた藤井四段が午後に勝てば文句なく昇段という局面でした。

聡太 二局目は、僕が勝ったら昇段、負けたら100%昇段しないという、わかりやすい状況だったので、迷わず指せました。

――これまでの戦歴を振り返って、大一番に負けたことはほとんどないのでは?

聡太 じつは、わりと負けているんです。五級昇級の際に、3、4回昇級を逃しています。その後はそれほどのことはなかったと思うのですが。

(補足)昨年8月、藤井聡太二段(当時)は、2連勝すれば三段昇段という場面があった。昇段を果たせば、9月からの三段リーグに参戦、この勢いで今年の3月に「中学1年生のプロ棋士」が誕生というのが私の読みだった。彼はこの機会を1勝1敗で逃した。三段昇段は昨年10月まで延び、次の三段リーグ開幕の4月まで半年もの期間が空いてしまった。これにより、藤井聡太の四段昇段が半年遅れてしまったともいえる。
――現在、藤井四段は名古屋大学教育学部附属中学校に通う中学2年生ですが、プロ棋士昇格が決まり、学校の反応はいかがでしたか?

聡太 学校には将棋部もないし、将棋に詳しい友人があまりいないんです。でも、新聞とかテレビに僕が出ているのを見て、“すげぇじゃん”とはいわれましたが(笑)。いま通っている学校は、カート競技で世界大会に出場している子もいたり、個人で取り組んでいることに対して、比較的大きな目で見てくれていると感じますね。先生も含めて、サラッと受け入れてくれていますよ。

――授業中に将棋のことを考えることはありますか。

聡太 それはないです。授業のときは授業に集中しています。師匠の杉本昌隆七段には「僕は学校に詰将棋を持参していっていたけれど」といわれたこともありますが、僕は持っていかない。頭の中で盤面が浮かぶということもありません。
4月13日、将棋の竜王戦ランキング戦6組で星野良生四段(右)を破り、自身の持つデビュー後の連勝記録を「12」に更新した藤井聡太四段=大阪市関西将棋会館
――藤井四段は、将棋の場面を図面で考えるのか、棋譜で考えるのか、どちらのタイプですか。

聡太 基本的に、符号で考えて、最後に図面に直して、その局面の形勢判断をしています。

――5歳で将棋を始めたきっかけが、祖母・育子さんが買ってきた「スタディ将棋」(くもん出版)だったそうですね。

藤井裕子(以下、裕子) それぞれの駒に矢印が付いていて、役割が一目でわかる将棋キットで、すぐに熱中していました。私の母がいうには、のめり込み方が、ほかの孫に比べて聡太だけ突出していたそうです。

聡太  「スタディ将棋」の何が気に入ったのかはあまり覚えていないのですが、単純に楽しかったのだと思います。将棋なら年上の相手と対等に渡り合えるというのも嬉しかった。どんどん新しい手を覚えて、それまで勝てなかった相手に勝てることに、やり甲斐を感じていました。

――この半年で急激に強くなったように感じます。3月に藤井三段(当時)と対戦したプロ棋士は「一期抜けは無理」と断言していました。一方で私の友人は、いまや三段と大駒一枚違うといいます。何があったのですか?

聡太 大駒一枚は、言い過ぎです(笑)。でも、今年の5月くらいからフリーソフトを何個かインストールして、パソコン上で将棋を指すようになりました。自分の弱みや間違っていた手がわかるので、勉強になります。

――プロ棋士になるための必須要件の1つに「詰将棋」があります。藤井四段はタイトル保持者を含むプロ棋士たちを抑え、2年連続「詰将棋回答選手権」で優勝していますが、詰将棋の楽しみを教えてください。

聡太 詰将棋は、配置された将棋の局面から王手の連続で相手の玉将を詰めるパズルのようなもので、終盤にかけて何か筋が見えた瞬間に快感を覚えます。詰将棋が自分を強くしてくれたと思っています。

――お母さまにお聞きします。5歳から将棋をずっと続けていた藤井四段をご覧になっていて、性格に何か変化はありましたか。

裕子 どちらかというと、いい変化のほうが大きいですね。集中力が身に付いたことで、長時間ジッと座っていられるようにもなりました。

 一方で、怒りっぽくなった印象があります。普段はほとんど怒ることはないのに、対局に負けると、不機嫌になるんです。外では抑えているのでしょうけど、家に帰ってくると、すごく悔しがっているのが伝わってきます。

聡太 負けたことが許せないというより、自分の弱さを痛感させられるんです。それが純粋に悔しい。

――藤井四段自身は自分の弱さをどう分析しているのですか。

聡太 先ほど母は、「集中力がある」と述べましたが、自分では集中力がないと思っています。目の前の対戦相手と対局していても、隣の対局のほうが気になってしまう。10分に1回ぐらいの間隔で、隣の対局の進捗が気になってしまうんです(笑)。

――自分の対局に必死で、横を見る余裕はないのでは?

聡太 ほかの対局が気になる棋士は、僕に限らずたまに見かけます。三段の試合に出場している棋士のなかには、席を立って、二段以下の対局を見に行く人もいました。三段の対局を見るのは気が重いから、二段以下、つまり自分に関係ない将棋を見て気分転換をしているらしいです。

裕子 私はもっと、集中したほうがいいと思うな。

聡太 もちろん、つねに目の前の対局に集中できればいちばんです。でも、緊張感のある対局のなかで、集中力を持続するのは意外に難しいんです。息抜きというわけではないですが、多少、気分を緩めることも必要かなという気もします。

――最近の将棋を語るうえで避けて通れないのが、AI(人工知能)との対戦です。2015年4~5月に開催された第1期電王戦では、山崎隆之叡王(八段)が将棋ソフト「Ponanza」(山本一成氏と下山晃氏が開発)に敗れました。現在、第2期電王戦でAIと対戦する棋士を決める叡王戦の本選が行なわれています。藤井四段はAIと戦うことをどう考えていますか。

聡太 個人的には、今後は囲碁や将棋といった「頭脳スポーツ」の分野においては、AIは勝負の対象ではなくなっていくのではないか、という気はします。たしかに、AI棋士がだんだん強くなり、将棋の概念が狭いものになってしまう懸念はありました。一方で、これまでにない新しい指し方もたくさん発見できたことで、僕自身も将棋の奥深さを再認識することができた。同じ視点で、将棋ファンの方にも、AIとの対戦を楽しんでもらえばいいのではないでしょうか。

 最終的には、プロ棋士よりAIが強くなると思います。両者の力の差はどんどん広がっていくかもしれない。たとえそうなったとしても、角落ち(上手が自分の駒のうちから角行を外して対局すること)されてまで勝負を挑むことに意味があるとは、僕は思わないです。

――「将棋ファン」という言葉を述べられましたが、最近では、29歳の若さで亡くなった天才将棋棋士村山聖の一生を描いた映画『聖の青春』が公開されたり、人気漫画『3月のライオン』(白泉社)がアニメ化されるなど、若年層のあいだで将棋がブームになっています。若くしてプロ棋士になったからこそ、将棋振興のためにご自身が果たせる役割をどう考えていますか。

聡太 将棋の素晴らしさは、年齢や性別を問わず、対等に対局できること。僕みたいな若い子が大人に交じって頑張っている姿を通して、将棋の魅力をいろいろな人に伝えることができれば、と思います。

――羽生善治三冠や76歳の加藤九段といったトップ棋士と同じテーブルで将棋を指せるのは、将棋ファンでなくても、羨ましく思います。

聡太 加藤九段とは先日、対談しましたが(『読売新聞』10月17日付)、その年齢まで将棋を続けられる加藤先生は偉大だと思います。

――最後に、プロ棋士になるにあたり、これまでサポートしてくれたお母さまへどんな言葉を贈りますか。

聡太 母は、将棋に関しては、あまり口出しをせずに、いつも傍で支えてきてくれたので、本当に感謝しています。

裕子 将棋に関してはよくわからないので口出しできないのですが、生活態度については、その都度注意するようにしています。息子のために将棋に集中できる環境を整えたい、とはいつも思っています。また、大勝負の前はとくに、聡太が落ち着いて試合に臨めるように、私自身も穏やかな気持ちでいよう、と心掛けています。

聡太 へぇ、そうなんだ(笑)。12月には初対局が控えています。これまでと変わらずしっかり準備をして、あまり気負わずに戦っていきたい。頑張りますので、読者の皆さんにも応援していただけたら、嬉しいです。


中日新聞テキスト

愛知の藤井さん、最年少プロ棋士 14歳2カ月

 将棋のプロになる最終関門「第五十九回奨励会三段リーグ戦」に挑んでいた愛知県瀬戸市川北町の中学二年、藤井聡太さん(14)が三日、一位でリーグを通過し、十四歳二カ月でプロ入りを決めた。「神武以来の天才」と呼ばれた加藤一二三(ひふみ)九段(76)の記録(十四歳七カ月)を六十二年ぶりに更新し、史上最年少となる。
 中学生でプロになるのは五人目で、渡辺明竜王(32)以来十六年ぶり。
 藤井さんは名古屋大教育学部付属中学二年。幼稚園児の五歳で将棋を始め、小学四年で名古屋市の杉本昌隆七段(47)に入門。併せて日本将棋連盟の養成機関「奨励会」に入った。順調に昇級を重ね、小学六年でトップ棋士が参加する詰め将棋大会で優勝。プロ入り最終関門の三段リーグに史上最年少で参戦し、次代の棋界を担う逸材として注目されていた。この日はリーグ最終日で、東京で二十九人が一斉対局した。
◆初挑戦でトップ合格
 「過去に中学生棋士になった人はタイトルを取っている。自分も並びたい」。全国の俊英が人生を懸けて戦う三段リーグを制した藤井さん。それも困難を伴う初めての挑戦(一期)で駆け抜けた。
 藤井さんは詰め将棋で鍛えた終盤の強さを武器に勝ち星を重ねた。この日は午前中の対局で敗れて窮地に追い込まれたが、合否を決める最終戦を勝ちきり、十三勝五敗でトップ合格した。
 「勝った瞬間は実感がわかなかった。昇段したことは素直にうれしいです」。会見して淡々と感想を述べ、将棋界の頂点の名人位については「格式あるタイトルなので取りたい」と意欲を見せた。
 一方、将棋以外の興味を問われると「将棋しかやってないので、答えるのが難しいです」と苦笑い。少年らしい一面をのぞかせた。
 藤井さんは東海地方の将棋界に大きな足跡を残した板谷(いたや)四郎九段、進九段の親子(いずれも故人)の直系の弟子。いわば東海の“保守本流”で、地元関係者の期待を一身に担っている。
 師匠の杉本昌隆七段(47)は「おとなしいけど将棋のことになると強く自己主張する子どもだった」と第一印象を語る。小学生の頃は負けると号泣して盤から離れず、母の裕子さん(46)が引き剥がすように連れ帰った。最近は「普通の人より三倍くらい早い」と舌を巻く成長ぶりで、杉本七段はここ数カ月で藤井さんに勝てなくなっていたという。
 杉本七段はこの日、愛知県でのイベントに参加しながら、戦況をこまめにチェックしていた。「彼は地元のアマとプロが一緒に育てた逸材。最年少でのプロ入りは大変な偉業だが、ここからがスタートだ。同じ土俵で対局するのが楽しみです」と話している。
 (岡村淳司)

 <プロ棋士への道> 将棋のプロ棋士になるには、原則として養成機関「奨励会」に入会し、26歳までに四段に昇段する必要がある。通常は6級からスタートし、三段になると、約30人が半年間かけてリーグ戦を行う「三段リーグ」に参加。上位2人に入ればプロになれる。かつては規定の成績を収めればプロになれたが、1987年度の三段リーグ開設で条件がより厳しくなった。以降のプロ入り最年少記録は、2000年の渡辺明竜王の15歳11カ月だった。三段リーグ初参加で昇段したのは藤井三段が史上6人目(第1回参加者を除く)。
 囲碁界はやや門戸が広く、より若いプロ棋士が誕生している。2010年には、藤沢里菜三段が女流棋士特別枠で、11歳6カ月の最年少でプロになった。
中日新聞(CHUNICHI Web
2016年9月4日(日)
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2016090402000054.html

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