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鈴木バイオリン

名古屋の鈴木バイオリン技術で生き残る、工場長・谷口昭夫さん

125年前の1887年、三味線作りの職人だった鈴木政吉(1859〜1944)が、名古屋でバイオリンを作った。これが楽器製造会社「鈴木バイオリン」の始まりとされる。政吉の三男・鎮一(しんいち)が1946年に子どもの情操教育の場としてつくった音楽教室「スズキ・メソード」は46カ国・地域に展開。日本国内の教室では同社のバイオリンが愛用されている。

丈夫で長持ち、音を出しやすい。バイオリン教育の裾野を広げているとされる同社の製品はどうやって作られるのか。この道53年の工場長、谷口昭夫さん(69)に工程を案内してもらった。
工場の中はニスの臭いと、木材のかぐわしい香りが漂っていた。窓際には薬品や塗料、ニスの瓶が所狭しと並ぶ。ニスを乾かすため、いくつもの新しいバイオリンがつるされていた。
作業着姿の職人たちが黙々と仕事をしている。19〜69歳の20人。手作り分業制だ。最初に行われるのが木の板をカンナで丁寧に削り込む作業。原材料は5年ほど寝かして自然乾燥させたドイツ産のカエデやマツだ。なめらかなバイオリンの表面の起伏が、カンナで作り上げられていく。削り方次第で音量や音質が変わるといい、職人たちはこの作業に大変な気を使う。
次は塗装。「どんなに良い楽器でも手に取ってもらうためには外観が良くないと。お化粧ですね」と谷口さん。数種類をブレンドしたニスが、はけで幾重にも塗りこまれる。表面の中央付近に「魂柱(こんちゅう)」と呼ばれる木製の駒が取り付けられ、弦を張れば完成だ。
谷口さんが入社したのは1959年。師匠はいなかったという。ニスの光沢や臭いをどう選別し、バイオリン製作に生かすか。関連の本を読み、同業者に話を聞いて、独力で技を磨いた。
「職人が一人前になるまでには大体10〜15年かかりますね」。技量を培っていくうちに職人独自のセンスが生まれるという。「完成した楽器に、職人個々の『色』がにじみ出る。これがバイオリン作りの面白いところです」と魅力を語る。
鈴木バイオリンの製造数は年間約7000本。海外ブランドとの競争は激しい。「外国のバイオリンに負けないように新しい技術を常に身につけて生き残っていかないといけない」と、谷口さんは力を込めた。【河出伸】
◇いっぴんメモ
鈴木バイオリン(名古屋市中川区広川町1の1、電話052・351・6451)は、チェロやコントラバスなども製造。バイオリンなどの楽器は、子どもの情操教育のツールとして購入される場合が多いため、売り上げは景気に左右されないとされてきた。しかし東日本大震災で同社の売り上げは大幅に減少。谷口工場長は「生活の潤い、文化的なものこそ大切にしなくてはいけない。悲しいことです」と話す。
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