人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

防衛大臣

田中防衛大臣

政治家の失言には「あっけらかん」という部類がある。「個別の事案についてはお答えを差し控える、法と証拠に基づいて適切にやっている。この二つで国会を切り抜けてきた」。そう言い放って辞めた法相がいた▼田中防衛相の国会答弁も二通りしかないようだ。「しどろもどろ」と「とんちんかん」である。昨日の衆参予算委でも、一つしか聞かれていないのに「3点についてのご質問ですが」と切り出し、委員長に注意される場面があった▼答弁に詰まる大臣に事務方が耳打ちをし、四方から資料が差し出される図は、二人羽織や千手観音に例えられた。面白うてやがて悲しき助け舟。毎度「冷や汗のパパ」を見せられる真紀子夫人もつらかろう▼憎めぬお人柄なれども、指揮官役には不向きと思われる。命がけで現場に向かう自衛隊員たちが、その顔を思い浮かべて奮い立つだろうか。野田首相は迷走ぶりを「無知の知」とかばったが、大臣が勉強するまで有事は待ってくれない▼野党がとうとう問責決議案を出した。選挙違反を疑われて「問責仲間」となった前田国交相と違い、法に触れるような所業があったわけではない。だがこの資質で地位にとどまること自体、政府あげての静かなる不祥事といえる▼外交担当の最高顧問として「害遊」する元首相といい、これでもかとツボを外した人事が、民主党には目立つ。失言より罪深い、あっけらかんの不適材不適所。任命権者に差し上げたい言葉は無知ではない。無恥である。
朝日新聞:天声人語 2012年4月19日

2012年1月30日 参院本会議

産経
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120130/plc12013016060009-n1.htm
父・角栄との違いは「論戦力」 防衛相が“失言癖”を釈明
 田中直紀防衛相は30日の参院本会議で、自らと岳父の故田中角栄元首相との違いを尋ねられ、「父は国会論戦の名手として有名だった。そこが私との最大の違いだと思う」と答弁し、議場の笑いを誘った。
 田中氏は13日の防衛相就任後、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)をめぐる軽率な発言が相次ぎ、野党側の追及の的となっている。
 この日は自らの“失言癖”を自虐的に取り上げながら、「自分の持ち味を生かし、誠心誠意、努めて参ります」と野党の懐柔に務めていた。

時事
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012013000646
国会論戦は苦手?=義父・田中元首相と比較−田中防衛相
 「田中の父は少壮政治家の頃から国会論戦の名手として有名だった。そこが私との最大の違いと思う」。田中直紀防衛相は30日の参院代表質問で、自民党の末松信介氏から「岳父、田中角栄元首相から何を学んだのか。元首相と防衛相の違いは」と問われ、こう答えた。論戦の苦手意識を暗に吐露したもので、議場内では失笑が漏れた。
 防衛相は、元首相について「類いまれな勉強家だった。具体策を立てると、自らが責任を取る覚悟で決断し、果敢に行動に移した。決断と実行が田中政治のスローガンだった」と述懐。「田中の父と過ごした日々は一刻一刻が学びの時だった」と振り返ったが、学んだことを生かせるか。 

読売
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120130-OYT1T01072.htm
角栄氏は論戦の名手、そこが違い…田中防衛相
 田中防衛相は、30日の参院本会議で、義父の田中角栄元首相との違いについて問われ、「田中の父は少壮政治家の頃から、国会論戦の名手として有名だった。そこが私との最大の違いだと思う」と述べる場面があった。
 就任早々、発言が問題視されてきた田中防衛相としては、国会答弁が「苦手」であることを自ら認めた形だ。
 防衛相は、元首相について「政治家としては類いまれな勉強家だった。夜遅くまで細かい資料に目を通し、本を読み、分析し、思索を巡らせていた。具体策を立てると決断し、果敢に行動に移した」とも述懐した。
 自民党の末松信介氏に対する答弁。

毎日
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120131k0000m010079000c.html
http://www45.atwiki.jp/jippensha/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B003&file=70%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%9B%B4%E7%B4%80.jpg
参院本会議で自民党・末松信介議員の代表質問を聞く田中直紀防衛相=国会内で2012年1月30日、尾籠章裕撮影

田中防衛相:論戦力「義父との最大の違い」 参院で答弁
 「田中の父は国会論戦の名手として有名だった。そこが私との最大の違いだ」。田中直紀防衛相が30日の参院本会議で、義父・田中角栄元首相と自らの違いを自虐的に語る場面があった。
 自民党の末松信介氏がこの日の代表質問で、東京電力福島第1原発事故の被災地の町長から「こういう一大事には元首相のような政治家が出てほしい」と言われた話を紹介。問題発言を連発する田中氏を「同じ田中でもとんでもない人違いだ」とやゆしたが、田中氏は「自分の持ち味を生かし、誠心誠意務めます」と述べ、深々と頭を下げた。
かもちゃんがゆく!/ウェブリブログ からの孫引き

田中真紀子&直紀氏“ホントの夫婦仲”…角栄元秘書が明かす

http://www45.atwiki.jp/jippensha/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B003&file=71%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%9C%9F%E7%B4%80%E5%AD%90%E3%83%BB%E7%9B%B4%E7%B4%80.jpg
“婦唱夫随”ともいわれる田中直紀氏(右)と妻の真紀子氏
沖縄訪問中の田中直紀防衛相は23日午前、仲井真弘多知事と会談。就任早々の失言で「素人」ぶりを露呈し、妻の真紀子元外相の強烈な存在感から「婦唱夫随」とも報じられているが、直紀氏の実力や夫婦仲は知られていない。真紀子氏の父・角栄元首相に秘書として仕えた朝賀昭氏(68)が夕刊フジの取材に応じ、実像を語った。
「オヤジが結婚式で『直紀君が、田中姓を名乗ってもいい、と言ってくれた』と泣いて喜んでいた。とにかく、直紀さんは穏やかな人。秘書仲間で、悪く思っている人は1人もいません」
朝賀氏は、直紀氏についてこう語った。
「オヤジ」とはもちろん角栄氏のこと。朝賀氏は学生だった1962年、自民党政調会長だった角栄氏の秘書になり、「三角大福中」の権力闘争や、ロッキード事件などを至近距離で見てきた。現在は早大大学院の講師などを務めている。
真紀子氏の猛女ぶりから、永田町では「(夫の)直紀氏の我慢強さには誰も勝てない。野党に責められる防衛相には最適だ」(自民党中堅)というジョークもある。
角栄氏も「直紀は偉い。直紀以外には(真紀子氏の夫は)務まらない」と絶賛していた。朝賀氏はいう。
「真紀子さんの(キツイ)発言に『普通は反論するだろう』と思っても、直紀さんは『まあ、いいから…』と泰然自若としている。真紀子さんは直紀さんを『パパ』と呼んでいる。テレビで見たが、直紀さんの初入閣にうれしそうだった。ホレているんです。だから、真紀子さんも直紀さんにイライラしても我慢している。仲のいい夫婦なんですよ」と話した。
85年2月、角栄氏が脳梗塞で倒れ、6月に東京・平河町の砂防会館にある個人事務所が突如閉鎖された。このとき、直紀氏は申し訳なさそうな顔で「しようがないよねぇ」とつぶやいた。
真紀子氏の意向だったが、朝賀氏は「何も相談されず不満を持つ秘書もいた。直紀さんは『悪い…』という思いだったのだろう」と語った。
ただ、直紀氏が防衛相就任直後から「素人」ぶりを連発していることには、朝賀氏も懸念を持っており「野田佳彦首相の人事には首をかしげる。適材適所というなら、直紀さんには専門の農業があるのに…。もちろん、田中家から出た閣僚なので、頑張っていただきたい」と語った。
“いい人”直紀氏はどう応えるか。

田中真紀子&直紀氏“ホントの夫婦仲”…角栄元秘書が明かす

山本権兵衛は軍事運が強いと読んだことがあるがこの田中直紀さんも運気が強い。
どんな組織でも、特に自分の命に直接関わる軍隊では直属の上官は運の良い者が良い。頭が良いとか軍事上のセンスが良いとかではなく『武運』『勝運』や生き残るための運の強い者の方が重要でこればかりは何ともし難いものだろう。
田中真紀子の夫、田中角栄の婿。だから自民党で農林水産副大臣になれた。田中真紀子と民主党への入党したらその政党が政権を取った。小沢一郎がいた。だから大臣になれた。
でも、田中真紀子さんは夫にもマスコミにも民主党にも自民党にも誰に対しても怒り心頭に発っしてるだろうなあ。

田中防衛相はPAC3*1とP3C*2の区別ができなかったとか・・・はっ、そう言えば田中角栄のロッキード事件とP3C事件は関連性が何やら霞がかかって・・・それで田中防衛相はぼけたのか・・・お、誰か来た

*1:対空誘導弾パトリオット

*2:対潜哨戒機