人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

「てんでんこ」1人でも避難

「奇跡」の授業(1)小学校低学年編


震災発生前に行われていた釜石市の防災教育の1コマ。地域防災マップを見ながら、避難方法などを話し合う片田教授(左端)=片田研究室提供

『「つなみ」は本当にこわい。高さ50センチでも大人が流されるんだ』

●釜石の子を津波から救った
【「逃げるのが当たり前」にする】
 防災心の「生死を分ける訓練」シリーズで報告したように、巨大津波に襲われた岩手県釜石市で、小中学生のほぼ全員にあたる約3千人が津波から逃れ、生き残った。そんな「奇跡」を呼んだ津波防災授業の一部を、小学校低学年・高学年・中学生向けに分け、再現する。1回目は小学校低学年編。

■破壊力を学ぶ
【授業開始】2004年12月に起きたインド洋大津波の映像をDVDで流し、教室で1年生に見せる。防風林を大きく越える波が押し寄せる様子、市街地に入ってたくさんの建物やモノをがれきに変えていく様子が流れる。
 続いて、津波の破壊力に関する映像。津波を模した水流の中で大人がどれほど立っていられるか調べる実験。高さ約50センチの水流で立っていられなくなる。
 その後、教師が質問する。

  • 「どう思った?」
  • 「何が流されている?」
  • 「どうすればいい?」

【展開】子どもたちの回答は、シンプルだ。

  • 「こわい」
  • 「家が流されている」
  • 「高い所に逃げる」

 これでいい。子どもたちの頭には津波のイメージが刻まれ始める。やりとりの中で(1)大きな地震の後に津波が来ること、(2)人は簡単に津波に流されること、(3)避難の際は遠くを目指すのではなく、より高い場所に逃げること――を教師が話す。
【狙い】DVD映像を作ったのは、7年間にわたって釜石市の防災教育に取り組んできた群馬大学大学院の片田敏孝教授。市内の小学校では映像を使い、1年生から津波を学び始める。インド洋大津波の映像は、東日本大震災前は津波の恐ろしさに関心を持たせるのに最も効果的だった。
 「逃げるのが当たり前になる環境を作るためには、早いうちから教え始めるほどよい」と片田教授は言い切る。

■波の高さ実感
 【授業開始】2年生の算数「長さをはかろう」の授業。「人が簡単に流される50センチの水流は、人の体でどのぐらいの高さになるでしょう」
【展開】2年生なら、子どもによっては腰ぐらいの高さになることを知る。大人の身長なら、ひざぐらいになる。
その上で、「昔この地域を襲った津波は、近くの村(今の大船渡市)で高さ21メートルまで駆け上がりました」「最近あった北海道の地震では、30メートルまで駆け上がりました(北海道南西沖地震における奥尻島の被害)」と過去の実例を教えていく。今回の大震災では、一部で高さ38メートルまで到達したことが確認されている。
【狙い】防災教育の時間がしっかり確保できるのが望ましいが、学習指導要領から大きく外れてはやりにくい。釜石市が考えた「苦肉の策」が通常授業に津波の知識をまぎれこませることだ。破壊力のある50センチの水流が、自分の体のどれほどの高さになるのか、低学年の児童が自分の体で実際に測って知る。

■避難地図作り
【授業開始】小学校の学区内の地図を児童一人ひとりに渡す。過去に津波が来た場所やハザードマップの浸水予測に基づく危険地域を知った上で、自分の登下校時のルートやふだんの遊び場周辺の避難場所を歩いて見て回り、地図に印をつける。避難場所が近くにない場合、どこまで行けばいいのかまで調べる。
 1年生はまだ地図が読めない。親に地図を渡して一緒に歩いてチェックする。
【展開】登下校が同じ方向の1〜6年生が一つの班になり、各自のマップを踏まえて班ごとの地域防災マップ作りにつなげる。
 3年生では、市内の津波石碑めぐりも取り入れる。市沿岸部にある世界最大規模の「湾口防波堤」も話題にする。そして、「防波堤を越える津波が来る可能性もある」と伝える。
【狙い】釜石市の防災教育は、義務教育期間を通して「タウンウオッチング」を重視する。自分の足を使って見て歩かなければ、いざというとき役に立たないからだ。
 1〜6年の班によるマップ作りも、低学年に防災を教えることの難しさに悩んだことから生まれた。
 片田教授は「子ども同士の関係を活用した。幼い児童は、お兄さんお姉さんから防災を学び、年長の児童は責任感が自然に身についたと思う」と話す。
 先人たちが築いた石碑には「津波が来たらこの地点より上に逃げろ」といった教訓が書かれている。幼いうちに見て回り、真剣に学ぶ効果を期待している。

 次回は小学校高学年向けの授業です。(柿崎隆)
asahi.com 2012年01月05日

「奇跡」の授業(2)小学校高学年編


小学生の「てんでんこ」訓練。下校時の襲来を想定し、できるだけ高い避難場所に走って逃げる=2009年、釜石市内、片田研究室提供

『「津波が来たら、僕は逃げる」と、お母さんに言いなさい』

●「てんでんこ」1人でも避難
【他人はどうであれ自分で判断】
 引き続き、岩手県釜石市の津波防災授業を紹介する。小学校高学年向けになると「津波てんでんこ」が本格的に登場。「てんでんこ」とは「てんでんばらばら」という意味だ。「津波が来たら、他人にかまわず必死で逃げろ」。1人でも自分の判断で避難できる知恵と勇気を持てるよう教えてきた。

■親と子が信頼
 【授業開始】保護者参観日。市の防災教育に関わる片田敏孝・群馬大大学院教授が、実際に児童と交わしたやりとりを再現する。保護者は別室で待機している。
 片田「皆さん、一生懸命津波の勉強をしている。だから、みんなは逃げてくれると私は信じるよ。でも君たちのお父さんとお母さんは、どうだろう?」
 -児童「僕を迎えに学校に来ると思う」「仕事場から家に戻ろうとする」
 -片田「そうだね。でも、そのとき流されちゃうかもしれないよね」
 -児童「……」(雰囲気が暗くなる)
 -片田「だから、家に帰ったら、お父さん、お母さんに言ってください。『地震が来たら、僕、わたしはちゃんと逃げるから』。これが、『てんでんこ』だよ」
【展開】続いて「裏番組」。児童がいない別室の保護者に、片田教授が話す。
 「子どもたちは心配しています。自分が逃げても親はどうするかと。だから、子どもに言われたら答えてほしいのです。『じゃ、お父さん、お母さんも逃げる』と」
【狙い】「津波てんでんこ」に児童を正面から向き合わせたことが、釜石市の防災教育の最大のポイントだ。声に出して話し合う方法で、より強い信頼を生んだ。
 今回の震災でも、親のことを思ってパニックになりながら、釜石市の子どもが迅速に避難行動をとれた背景には、普段の親との会話があった。
 親も同じだ。片田教授は震災後、あちこちで保護者から「逃げるなって言っても、子どもは逃げますからね。私も自分で逃げました」という声を聞いた。信頼関係は、しっかり根付いていたのだ。

■科学的に説明
【授業開始】入り組んだリアス式海岸での津波の特徴を、科学的に映像や図で丁寧に教える。例えば……。
・水深が浅くなるにつれ、津波は高くなる性質がある→「浅水効果」
・湾や入り江の奥では、津波のエネルギーが集中して波が高くなる→「集中効果」
・湾や入り江では、津波は湾内で反射や屈折を繰り返す。波が繰り返し来ることになる→「湾内トラップ」
【展開】市内の地図を示して、様々な特徴が重なって津波被害が拡大しやすい地形であることを実感させる。
 「沿岸でどんな津波になるかは、誰もわからない。だから逃げるのだ」と教える。
【狙い】「地球上のプレート(岩板)が動いて地震が発生し、津波が起きる」という地震現象の説明も、もちろんする。しかし、なぜ自分たちの街で何度も大きな被害が起きるのかまではわかりにくい。そこで、水の流れまで含めた津波メカニズムの説明に力を入れてきた。その上で「わかったふりをしないことが大事だ」と強調する。
 一方、「自分の街は怖い場所だ」という話にはしない。釜石は日本有数の豊かな漁場であることを理解させつつ、リスクにも目を向けるという姿勢を貫いている。

■教師の熱意も
【授業開始】緊急地震速報や津波警報、避難勧告の仕組みを説明する。次に、過去に警報や勧告が出たときの地域住民の行動を振り返る。
 「なぜ、人々は逃げなかった?」と理由を考えてみる。
【展開】「小さい波しか来ないと言われた」「家族が大丈夫だと言った」といった回答が、児童から出る。ここで「高さ50センチの津波でも人が流される」「場所によって大きな波になることもありうる」と思い出せる。その上で「人間には何かにつけて理由をつけ、逃げようとしない心理がある」と説明する。
【狙い】震災前の数年間で、釜石市には何度か津波注意報が出た。しかし「児童は坂を駆け上がったのに、地域住民は無関心だった」という結果が続いた。そんな状況の中、教師は避難の大切さを児童に説いてきた。エネルギーがいるが、片田教授は「教師の熱意は、命を守る防災教育の重要な要素」と言う。

 次回は中学生向けの授業を紹介します。(柿崎隆)
asahi.com 2012年01月12日

「奇跡」の授業(3)中学生編


地震で負傷者が出た場合を想定してリヤカーに人を乗せて坂を駆け上がる訓練もしていた=2009年、釜石市内、片田研究室提供

『君たちは、助けられる存在ではない。人を助ける存在だ』

●率先して避難、周りも救う
【災害時できることを考える】
 岩手県釜石市の防災授業では、小学生で津波から「逃げる大切さ」を教わる。そして中学校に進むと、「これからの君たちは助ける側だ」と、災害時に社会的な役割を担うよう指導される。災害ボランティア活動にとどまらず、「率先して逃げることが、周囲も救う大事な役目になる」と学ぶ。

■地域守る役割
 【授業開始】中学入学後間もなく、総合学習の時間にクイズ大会を開く。
 Q1 宮城県沖で今後30年以内に大きな地震が起きるとされる確率を、次から選べ。
(1)69%(2)79%(3)89%(4)99%
 Q2 1896(明治29)年の明治三陸地震による津波では、東北地方全体でどれぐらいの死者が出た?
(1)5千人(2)7千人(3)1万5千人(4)2万2千人
 質問は約10問ある。
 【展開】答えを示すとともに、補足説明をして知識の定着を目指す。ちなみにQ1、2ともに、正解は(4)。
 【狙い】問題を作ったのは群馬大学大学院の片田敏孝教授の研究室。小学校で学んだ内容で生徒の理解度を確かめ、津波の特徴や津波から身を守る方法を復習する。
 そして「中学生になった君たちは、津波が来たときには人を助け、地域を守る役割を担う。これからは、そのための勉強だ」と心構えを説く。

■技術と自覚も
 【授業開始】大災害が起きたとき、ボランティアは大きな役割を果たす。釜石市で暮らす生徒たちはボランティアをする可能性が高い。「災害時に中学生としてできることは何か」を考えさせる。
 【展開】市の地域防災計画を見ながら考える。自分の住む街の防災態勢がどう成り立っているのかを知らないと、本当の役には立てない。そして、実際に取り組ませる。
 ある中学校は、高齢者ボランティアの一環として「安否札」というものを作って配った。「○○(名前)は○○(場所)に避難しました」と書いて、玄関に貼るメモ用紙だ。学区内に住む高齢者を訪ねて配る。災害の時に助ける対象として状況を知っておく作業も兼ねる。
 【狙い】けがの応急手当てや炊き出し実習、学校が避難所になった場合の清掃などの基本的な訓練を頻繁に実施する。だが、技術だけ知っていても役に立たない。
 津波の危険性が高い沿岸地域は、人口減少地域が多く、働き盛りの親や高校生は日中市外に出ている場合が多い。そのため、中学生に中心的な役割を果たす自覚を持ってもらう必要がある。「君たちは助ける側だ」と説く真意も、ここにある。

■尾鷲が模範例
【授業開始】「いま、火災報知機が鳴ったら、どう行動する? 逃げるかな?」
 異変が起きても「自分は大丈夫」と思ってしまうことを災害心理学で「正常化の偏見」と呼ぶ。この偏見が、すべての人にあることを教える。小学校高学年で学んだ「人間には何かにつけて理由をつけて、逃げようとしない心理がある」ことの復習でもある。その上で、「偏見にとらわれず、避難するにはどうするか」を考える。
【展開】「模範」として学ばせたのは、三重県尾鷲市の例だ。2004年9月、紀伊半島沖を震源とする地震が起き、津波警報が出た。沿岸部で7割の市民が避難した。
 尾鷲市では多くの自治会で、拡声機で避難を呼びかけつつ、自ら走り出す「率先避難者」を事前に決めていた。
 釜石市の授業ではここで、「勇気を持って逃げる最初の1人になって」と伝える。
 普段、生徒は「君たちは地域を守れ」と教わっている。「守れと言っていたのに、真っ先に逃げろとはおかしい」と考えるかもしれない。
 「そうじゃない」。教える側は説く。
 「率先避難は地域を守る大事な仕事だ。正常化の偏見にとらわれた大人にはできない。君たちがやるんだ」
 【狙い】中学生に「助ける」と「逃げる」を両立させる指導は、簡単ではない。
 しかし、今回の大震災では実際に効果があった。
 震災当日、海岸に近い釜石東中学校で、偶然グラウンドにいたサッカー部員たちが「逃げるぞー」と呼びかけ、坂を駆け上がった。ほかの生徒も逃げ始めた。近くの小学生もこれを見て走った。地域住民もつられて逃げた。サッカー部員が見事に地域の命を守った。

 次回は、カリキュラム作りを指導した片田教授に聞きます。(柿崎隆)
asahi.com 2012年01月19日

「奇跡」の授業(4)完


3・11。赤白の帽子の小学生が水没した沿岸の町を見ているなか、青いジャージーの中学生はさらに手前の山側に駆け出している=岩手県釜石市内、片田研究室提供

『子どもたちは生き残った。未来のために、死者の声を聞こう』

●犠牲者の行動 調べて教訓に
 前回まで3回に分けて紹介した岩手県釜石市の「奇跡」の授業。巨大津波から多くの子どもの命を救った防災教育はどう作り上げられたのか。そして、今後の方向は? 指導してきた片田敏孝・群馬大大学院教授に聞いた。(聞き手・柿崎隆)
 2004年末のインド洋大津波を目の当たりにした片田教授。何のつてもなかった釜石市役所に電話し、津波対策の必要性を訴えた。まず、市防災課と協力し、大人の市民向けに防災講演会を数年間続けた。だが……。
 「手応えをまったく感じなかった。津波が来たら、みんな死んでしまうと思った。
 せめて子どもたちの命を守れないかと、市教育委員会に相談した。市教委の幹部に、人事交流で来ていた消防本部出身者がいた。この人の協力で市教委に理解が広がった。いま思えば、津波防災教育はこのときから始まった」

■「想定外」指導
 09年、釜石沖の水深63メートルの場所に「世界最深」の湾口防波堤が完成した。防災教育が深まる一方で、津波対策は万全という雰囲気が市民に広がっていった。
 「『想定を信じるな』という指導に、子どもたちは従ってくれた。しかし、大人たちには『防波堤ができたんだから、もう危ないなんて言わないでくれ』と言われた。教員は大変だったと思う。私の仕事はむしろ、教員を指導し、励ますことだった。『うちの学校はハーモニカの大会に力を入れていて、防災教育はできない』と言う先生と、『命あってのハーモニカでしょ』と言い合ったこともある。
 防災教育のカリキュラムは、現場の模索と努力が積み重なった結果だ。教員たちが繰り返した議論のプロセスがむしろ重要で、現場の熱意こそが子どもたちの避難につながったと思う」
 東日本大震災の日、片田教授は青森県八戸市にいた。真っ先に思ったのは、釜石の中学生のことだった。
 「君たちは助ける存在だと、ずっと教えてきた。だから高齢者や幼い児童の救助を優先して、みんな津波に巻き込まれたのではないかと思った。現地に行くまで本当に心配だった。実際は、率先して避難し、小学生や地域住民も巻き込んで坂を駆け上っていた。『想定外』を生き抜く力を発揮してくれた」

■次は「ゼロ」に
 市内の小中学生のほぼ全員にあたる約3千人の命は救われた。今後の指導の方向は?
 「それでも、市内の死者・行方不明者は1100人に上る。防波堤で守られた命があった一方で、世界最大の防波堤に安心して失われた命も多かったと、私は思う。
 津波注意報が出ても逃げない大人たちへの心配が、現実になった。亡くなった方は無念だろう。死の理由をきちんと追求し、死者の声を聞くことが大切だ。
 今回の子どもたちの行動、親の行動も調べて記録に残す。子どもたちが生き残った釜石には、未来がある。次の津波では死者ゼロを目指す。春以降、今回の教訓を残す教育プログラムに取り組む。
 津波が来る可能性があるほかの地域でも、釜石のカリキュラムを大いに参考にしてほしい。ただ、一夜漬けは意味がない。議論していくことが大事で、自らで地域の防災教育を作り上げてほしい」

※この連載へのご意見、ご感想をお寄せ下さい。〒450・8691 名古屋支店私書箱301号 朝日新聞名古屋報道センター「防災心 『奇跡』の授業」係へ。Eメール(n-shakai@asahi.com)でも受け付けます。
asahi.com 2012年01月26日