人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

公園のゴミ

どうして公園や道路にゴミを捨てることができるのだろう。
中高生辺りが買い食いしてポイと捨てていくのか。
公園にしろ道路にしろ自分もまた通る所にゴミがあったら不愉快になるだけだろうに。
よく祭りの花火開催場近辺の住人が翌日の道路のゴミに辟易すると聞く。これもどうしてゴミを捨てることができるのか理解できない。沿道の住人にはやかましく迷惑をかけている上にゴミまで片付けさせるとは信じられん。第一ゴミが散乱していたら祭りの気分も台無しになるだろうに。海でも山でも同じことで綺麗な風景を見ている自分の足元に弁当のパックやペットボトルが、タバコの吸殻が落ちていたら面白く無いだろうに。持ち帰るだけのことじゃないか。何故それだけのことができないのだろう。まさか宗教上の理由とか先祖代々の遺言って訳じゃないよね。もし本当のにそれが理由なら仕方がない、拾ってやるよ。軽蔑はするけど。
公園の空き缶は自分が通る近辺は拾ってきて資源ごみリサイクルに出している。
どうもゴミを捨てても何とも感じない者と、そうじゃない者と人種、育った環境に関係なく人間のDNAに刷り込まれていてはっきりと二分されているような気がしたがそうでもないか。要因として育った環境は大きいかな。ゴミをその辺に捨てるのが当たり前の国、地域、ゴミと言っても自然に還るような物しか自分の生活に無いような環境の所でわざわざ持ち帰るというのも意味が無い。でも今の日本での環境ではゴミのポイ捨ては法律違反と言うより前にマナー違反だし、そもそも多くの人が不愉快に感じるであろうというのは間違いないのだから、それでもポイ捨てができる神経というのはやはりそのようなDNAを持っているんだ。今度一度何か捨ててみようかな、どんな気がするのか。
多分・・・・・・いや、絶対に後で拾いに行くな。