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書家・榊莫山さん死去…書と詩・画一体、飄々人生

 奔放な創作活動で「書道界の風雲児」と呼ばれた書家の榊莫山(さかき・ばくざん、本名・齊=はじむ)さんが3日午前4時13分、急性心不全のため死去した。84歳だった。告別式は親族で済ませた。自宅は三重県伊賀市菖蒲池1282。喪主は妻、美代子さん。

 三重県生まれ。中学時代に書を始め、戦後は辻本史邑(しゆう)、篆刻(てんこく)を梅舒適(じょてき)に学んだ。京大文学部で美学を専攻。1951年に日本書芸院展で推薦一席・文部大臣賞、翌年、前衛書道の奎星(けいせい)会展でも最高賞を受賞した。日本書芸院と奎星会の審査員を務めたが、組織に束縛されることを嫌い、32歳で無所属になった。

 写真家や美術家ら他ジャンルの芸術家と競作展を開催。自作の詩に絵を添えた「詩・書・画一体」のユーモラスでおおらかな芸術世界を創造した。

 中国の書の古典研究に通じ100冊を超える著書があり、読売新聞の「気流」欄や「本よみうり堂」の題字を担当。



焼酎のコマーシャルにも登場して広く親しまれた。


豪放磊落(らいらく)な人柄で誰からも愛された榊さん(2003年8月、三重県伊賀市の自宅で)=田中成浩撮影

 人なつこい笑顔や飄々(ひょうひょう)とした生き方で「莫山(ばくざん)先生」と慕われた書家の榊莫山さんが3日、亡くなった。書壇に寄らず独自の書を追究し晩年は心臓手術を受けてなお、精力的に個展を開くなど、最期まで意欲は衰えなかった。

 20歳代で書道界の最高賞を次々に受賞したが「集団を組むと堕落する。孤独でなければ見えるものが見えなくなる」と野に下った。

 「寒山拾得」などの作品は、明快な造形性と鮮烈なイメージを備え、「土」「女」「樹」など一文字を大書し、文字の記号性と意味を併せて伝えようと試みたこともあった。

 1985年に「詩・書・画一体」を発表。季節の移ろいや自然を慈しむ気持ちを表現したシリーズはライフワークになり、作家の司馬遼太郎さんや瀬戸内寂聴さんらが称賛した。写真家の入江泰吉さんや同郷の美術家、元永定正さんらと開いた競作展も評判を呼んだ。

 「草庵に暮らす」など、深い学識を背景にしながら、平明な言葉でつづったエッセーを多数執筆。NHKの講座番組に出演、講演では関西弁のほのぼのした口調で語り、書芸術の堅苦しいイメージを払拭(ふっしょく)した。

 糖尿病や心臓病を患いながら、毎年のように個展を開催。2008年にも大阪で展覧会を開いた。

 妻の美代子さんによると莫山さんは2日夕、三重県伊賀市の自宅で突然倒れ、救急車で病院に運ばれた。告別式は遺言で親族ら約20人が般若心経を唱えて見送ったといい、お別れの会も予定はない。

 作家の瀬戸内寂聴さんの話「私が出している『寂庵だより』の毎号の表紙絵も、うちの庭石に彫った『寂』の字も、どちらも莫山さんの作品です。書も絵も文章も、ジャンルを超えて何でもできる現代の文人でした」
(2010年10月6日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20101006-OYO1T00226.htm?from=main1