人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

寺田屋お登勢

寺田屋お登勢 宗門人別改帳

http://www45.atwiki.jp/jippensha/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B008&file=28_%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%B1%8B%E3%81%8A%E7%99%BB%E5%8B%A2.jpg
<大津市で見つかった「寺田屋」のおかみ「お登勢」の生家を記録した文書。左から3番目に「登勢」とある(京都龍馬会の赤尾博章氏提供)>

坂本竜馬が襲撃された寺田屋事件の舞台として知られる京都・伏見の宿「寺田屋」のおかみで、竜馬ら幕末の志士を支援した「お登勢」の生家を記録した文書が大津市で見つかった。大津市歴史博物館の樋爪修館長は「生家を確定できる意義ある資料だ」と話している。見つかったのは弘化4(1847)年の宗門人別改帳。お登勢は、現在の大津市中央1丁目に当たる丸屋町の宿「升屋」を経営した重助の次女で、当時18歳と記され、4人のきょうだいがいたことも分かった。発見した東京都の歴史研究家、あさくらゆうさんによると、お登勢は寺田屋に嫁いだ後、主人伊助を助けて宿を切り盛りしたことが知られているが、生家の位置や家族の状況は詳しく分からなかった。
MSN産経フォト - 2013年02月25日
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2013/02/25/09ryoma/

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「お登勢」生家跡に石碑 大津市に建立

http://www45.atwiki.jp/jippensha/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B008&file=29_%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%B1%8B%E3%81%8A%E7%99%BB%E5%8B%A2.jpg
<「寺田屋」のおかみ、お登勢の生家があったことを示す石碑の除幕式で記念写真に納まる近江龍馬会の関係者ら =25日午後、大津市>

坂本龍馬が襲われた寺田屋事件の舞台として知られる京都・伏見の宿「寺田屋」のおかみ、お登勢の生家があったことを示す石碑が大津市内に建てられ、25日、除幕式が開かれた。龍馬ゆかりの地に石碑を建てる活動をしている市内の近江龍馬会などが建立。縦横約20cm、高さ約1m20cmで、「寺田屋お登勢実家 升屋跡」と彫られている。除幕式では、古文書から生家を特定した歴史研究家のあさくらゆう氏が「足を運んでお登勢をよく知っていただきたい」とあいさつ。近江龍馬会の森田典明会長は「お登勢さんも『見つけてくれてありがとう』と言ってくれている気がする」と話した。
MSN産経フォト - 2013年05月25日
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2013/05/25/21ryoma/

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坂本龍馬

龍馬写真原板など、下関に寄託 長府藩士のひ孫

http://www45.atwiki.jp/jippensha/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B008&file=30_%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC.jpg
<山口県下関市に寄託された坂本龍馬の写真原板>

幕末の志士、坂本龍馬を寺田屋事件で救い出し、龍馬の信頼が厚かったといわれる長府藩士、三吉慎蔵のひ孫の三吉治敬さん(75)=長野県上田市=が慎蔵の地元、山口県下関市を訪れ、慎蔵に宛てた龍馬の書状など396点を市に寄託した。寄託品を展示する市立長府博物館の担当者は「幕末維新の史料として一級のものばかり」と高く評価している。同博物館によると、慎蔵は1866年1月、薩長同盟をまとめようとしていた龍馬とともに下関を出て京都入り。同盟の成立直後、伏見の寺田屋に宿泊した2人は幕府役人の襲撃を受けるが慎蔵はやりで応戦、負傷した龍馬を救出した。寄託史料は、龍馬が寺田屋事件を機に親交を深めた慎蔵に幕府や京都などの最新動向を伝えた書状や、事件の経緯を記録した慎蔵の日記、龍馬の写真原板など。高杉晋作や西郷隆盛、勝海舟らの書も含まれている。
MSN産経フォト - 2013年05月26日
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2013/05/26/22ryoma/

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