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ニール・サイモン

「おかしな二人」アメリカの劇作家ニール・サイモンさん死去

2018年8月27日 5時46分
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アメリカを代表する劇作家で、多くの人気コメディー作品を生み出したニール・サイモンさんが26日、肺炎のため亡くなりました。91歳でした。
ニール・サイモンさんは1927年にニューヨークのブロンクス地区で生まれ、大学を卒業後、1961年に劇作家としてデビューしました。
1965年には、離婚したばかりの男性が、ポーカー仲間で同じように離婚を経験した男性の部屋に住み始め、性格が違う二人がさまざまな騒動を引き起こすコメディー「おかしな二人」でアメリカ演劇界で最高の栄誉とされるトニー賞を受賞しました。
この作品を含む3つの作品でトニー賞を受賞したのをはじめ、ピュリツァー賞の戯曲部門など数々の賞を受賞していて、生涯で40本以上の作品を書き上げたことから、アメリカのメディアは「ブロードウェイで最も多作で人気のある一人だった」と評価しています。
また、1983年には、ブロードウェイにみずからの名前を冠した「ニール・サイモン劇場」も開場しました。
サイモンさんの広報担当者によりますと、26日、ニューヨークの病院で肺炎のため亡くなったということです。
サイモンさんは、脚本家の三谷幸喜さんが敬愛していることでも知られ、日本の演劇界にも影響を与えました。
NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180827/k10011595291000.html

笑い声のない家で少年は育った。父親はたびたび家を飛び出し、母親は泣いてばかりいた。息苦しい生活のなか少年が見つけた数少ない楽しみはチャプリンの映画だった
▼笑いを商売にする人間は必ずしも笑いの絶えぬ家庭で育つものとは限らぬらしい。少年はやがて世界中に笑いを売るようになる。米劇作家のニール・サイモンさん。二十六日、九十一歳で亡くなった
▼「サンシャイン・ボーイズ」「おかしな二人」「裸足(はだし)で散歩」。数々の傑作で世界中を笑わせ、ちょっと泣かせ、そして幸せな気分にした
▼笑いへのこだわりは暗い少年時代の日々と関係があると書いている。「観客の笑い声を聞けば聞くほど、もっと聞きたくなった。これで十分ということはなかった」。少年時代に聞きたかった笑い声を少しでも取り戻そうとしていたのか。おかげでわれわれはおなかをよじらせたわけだが、切ない裏話でもある
▼人を笑わせるのは難しい。自信作があった。書いている途中で自分で噴きだすほどにオカシイ。「わたしは書きながら笑い、稽古で笑った。だが笑ったのはわたしだけだった」。作品は短期間で打ち切られた
▼書き直しをいとわぬ人でデビュー作の「カム・ブロー・ユア・ホーン」は二十二回書き直した。何度でも書き直す。求めていたのはより大きな笑い声。その旅立ちは寂しいが、拍手と感謝の笑い声で送る。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2018082802000120.html
2018年8月28日 中日新聞 中日春秋

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