人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

自殺

中日春秋

<やってみせて/言って聞かせて/やらせてみて/ほめてやらねば/人は動かじ>。山本五十六が残した有名な言葉だ。米ハワイの真珠湾を奇襲した連合艦隊の司令長官は、日米開戦を防ぐため、日独伊の三国同盟締結に体を張って反対した開明的な軍政家でもあった。その教育論は示唆に富む
▼百人いれば百通りの教育論がある。自分の経験が基にあるだけに、信念は簡単には曲げられない。ほめるよりも、叱る方が教育的な効果がある、と信じている人も少なからずいるだろう
▼大阪市桜宮高校のバスケットボール部の主将が先月自殺したのは、部活の顧問の男性教諭の体罰が原因だった。自殺の前日には三、四十回殴られた、と心配していた母親に明かしていた。顧問がしたことは教育的指導などではなく、明らかな犯罪行為だ
▼閉鎖的な学校空間が暴力のはびこる実態を外から見えにくくしている。複数の教員が体罰を目撃していたが、黙認していたという。過去のいじめ事件から何を学んできたのだろうか
▼自殺する前日、顔を腫らせて帰ってきた時も、「弁当おいしかった」と母親を気遣う優しい子だった。主将でなければ、強豪校でなければ、常軌を逸した暴力にもっとサインを出せたのではないか。そう考えると、やりきれない
▼ほめられ、叱咤(しった)されて伸びる才能はあろう。踏みにじられて伸びる芽はない。
中日新聞:中日春秋:コラム(CHUNICHI Web) - 2013年1月11日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013011102000088.html

自殺する者は弱いからなのか。
違うと思う。
外的要因で精神が侵されてしまっているからだ。
程度の違いはあってもそのような事で侵される精神の持ち主が弱い人間だと言うのならそう言えるのかもしれない。
逆に、そうならない者はそこに耐性があると言えるのかもしれない。悪く言うと鈍感で無神経なのかもしれない。ポジティブに考えることができ、簡単に止めたり逃げることも恥と思わないし他のせいにして自分を正当化してはばからない。総じて他人に対して思いやりが無い。

ソルジェニーツィンが収容所群島の中で「辛い時は声を上げて喚き泣くしかない」*1と記した。日本人がシベリア抑留され運良く生きて日本に帰ることができた人が日本に帰ってからも洗脳されてしまっていてロシアを批判したり虐待されたことが言えなかったそうだ。
この前も兄弟を殺せと命令され実行した残虐な事件があった。Wikipedia尼崎事件

このような虐待を続けられそこから抜け出せないと自殺に追い込まれそうなものだが、自己保存本能が働いてそれができない、しない。また逃げるとそれ以上の虐待をされるかもしれないと分かると逃げもせずその位置にいようとする。頑張っているのではなく逃げることが恐怖なのだ。逃げてもっと酷い虐待を受けた時に自殺を選択するかもしれない恐怖のためそれを回避するため逃げない。
つまり遺伝子にとって死(無)は自分とは相反するもので最高レベルで回避しようとする。
人間の脳が正常ならば自己保存に反する事には恐怖でできない。
動植物の遺伝子は自己にとってその個体がどうした方が得かで個体をコントロールしている。
人間の場合は遺伝子は『恐怖』の一点でコントロールしているのではないだろうか。
自分の脳が何かを恐れその恐怖が死の恐怖を上回った時に自殺を選択しただけで複雑なことではなく『恐怖』の比較という単純なことかもしれない。
その個体にとって何が死より恐ろしい事なのかはそれぞれ違う。
例えば虐待を受ける以外にも「何もすることがない」「面白いと思うことがない」「眠れない」「以前出来ていたことができなくなった」「何を食べても美味くない」「不安」「愛する者がいなくなった」「今の地位を失う」とか他の者が見たら何だそんな事と思うこともその者にとっては死よりもそれが恐怖なことがある。冗談で「命より健康が大事」と言うが笑い事ではなくそれだってありえる。

尼崎事件の主犯は留置場で自殺して果てた。
そこまで残虐な事をすることができる者が取り調べが恐怖で苦痛を感じ自殺したとは皮肉なものだ。
自殺できる者とできない者の何が違うのだろう。
外的に何かの要因があるとそのスイッチが入りやすい者と入らない者。
自己保存本能を切るスイッチがあるのだろうか。
自分の死より恐怖の連続が恐怖なのだ。
日本人の自殺は多いのだそうだ。
無神論日本人は宗教的には自殺が悪とは教えられていない。
即身仏、武士の割腹、殉死、悲恋故の心中、責任を取って死んで詫びるとか日本で自殺は悪だとは言われていない。むしろ潔いとか恋愛物語になったりと肯定的にとらえられている。
昔、キリスト教では自殺は悪で自殺した者は天国に行けないし教会で葬儀埋葬してもらえないと聞いたことがある。今は人道的にもそんな事はないだろうが、キリスト教圏の者は子供の頃から『自殺』は『悪』で忌まわしいものだと教えられているようだ。
アメリカの戦争映画で「自殺することはできない。だから殺してくれ」と頼むシーンを見たことがある。
どんな動植物でも遺伝子の根本的な所で自己保存を最優先する本能を植えつけられている。
自分を無くそうとする遺伝子は無い。
レミングは集団自殺するという伝説があり映像もあったが捏造だった。
極限状態に置かれた親が子供のため死ぬと言うがある。これは次の遺伝子が既に子供の方に伝わった。それが無くなる位なら寿命も短く遺伝子の生産性も落ちている古い個体の方を処分した方が合理的で得策だから死なしてしまう。
なんて自己中なんだ遺伝子とは。

*1:授業で先生から聞いただけで実際に読んでいないから本当にそう書いてあったのか分からないw