人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

一把一絡げ (いっぱひとからげ)

40歳になるまで『一把一絡げ』と言っていた。多分、親が使っていた言葉をそのまま使っていたのだろう。ある時家内にそれ『十把一絡げ』の間違いではないかと言われた。そう言われるとそうだ、意味が通らない。いや待て他に意味があるのかもしれないと思い気にはなっていた。辞書で調べれば良さそうなものを何故かしなかった。
そんな或日、タイトルは忘れたが司馬遼太郎の小説を読んでいたら『一把一絡げ』と書いてあった。文章のプロ中のプロ司馬遼太郎が間違う筈はない。印としてページを折って先を読んでいくと数十ページ離れた所に今度は『十把一絡げ』も出てきた。と言うことは同じ意味で『一把一絡げ』を使っていたのかもしれない。『一把一絡げ』を特別な意味合いで使用した場合は司馬遼太郎は必ず説明をそこに入れる。と言うことはただの間違いかもしれない。これを見つけた時、何故家内にその本を見せ自分は間違っていなかったと威張らなかったのか、それも忘れた。もしその本のその箇所を見つけたらスキャンしてここに貼る*1

その当時ネット環境が無かったから調べなかったが、今検索してみると『一把一絡げ』はことごとく、間違い、うろ覚えと出てくる。と言うことは結構このように言っている人がいるということだ。その内『一所懸命*2』も『一生懸命』で良いということになったように『一把一絡げ』でも良いということなるかもしれない。そう言えばこの『一所懸命』という言葉も司馬遼太郎の『箱根の坂』に関東武士(郎党、悪党だったかな)の言葉として「自分の土地を命をかけて守る」から来ていると記してあったと記憶している。
・・・『一把一絡げ』でも良いとはならないか。意味が通じない。
でも、わずかに奥豊後(大分県南西部)の言葉のサイトで方言としてあるそうだ。もっとも言い間違いがそのまま方言として定着したのかもしれないけど。

いっぱひとからげ
いっぱは一把で、本来はひと抱えほどの薪や草を束ねたものの単位。
ここでは、大したことのない者の集団にいう。ひとまとめにして担げるほど、大したことはないという意味。
どいつもこいつも大しち役に立ちゃせん、いっぱひとからげじゃ(どいつもこいつも、さして役に立たない。みんなまとめて担げるほど軽い)
豊後林/ことわざ、慣用表現

豊後*3と尾張*4では共通点が無いか。肥後*5なら加藤清正つながりであるにはあるけど。

*1:多分しないだろうし、見つからないだろうなあ

*2:随分前ワープロ専用機のテレビCMで遠藤周作が取り上げた語彙。その当時はまだ『一生懸命』はただの間違い扱いだったと思う。

*3:大分県

*4:愛知県西部

*5:熊本県