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織田信長のルーツ、忌部氏か越前町法楽寺に祖先の墓


福井県越前町織田文化歴史館 法楽寺境内から見つかった「親真」の銘が入った石造

福井県越前町教育委員会は1日、同町織田(おた)の法楽寺境内で見つかった石造が、織田信長の十数代前の祖先に当たる「親真(ちかざね)」の墓の一部であることが分かったと発表した。町教委の堀大介学芸員は「織田家発祥の地と言われる織田で信長の祖先の墓が見つかったことは、未解明な部分が多い織田家のルーツ解明につながる重要な発見」としている。(岩崎大樹)
石造は鎌倉時代に墓とされていた五輪塔の一部。半分ほどが崩れているが、1辺約21センチ四方の立方体の形をしていたとみられる。左側面に「喪親真阿聖霊(あしょうりょう)正應三(1290)年庚刀(かのえとら)二月十九日未尅」と彫られており、「親真が正應3年2月19日午後1〜3時に亡くなった」(堀学芸員)ことが記されている。
町教委は▽「親真」の銘がある▽銘文の文字配置が鎌倉時代の石造の特徴と一致する▽死亡時刻まで詳細に彫ってある−などから、没年に建てられた親真の墓と判断した。裏面には「孝子七月吉日」の銘があり、親真の子が7月に建てたと考えられる。
織田家のルーツについては、1185年ごろ平清盛のひ孫として親真が生まれ、近江(滋賀)から織田の劔神社神主を務めていた忌部(いんべ)家に養子に入ったとする「平氏説」が有力視されている。
堀学芸員は「親真が1290年に死んだことが学術的に判明した。100年以上生きたことになる平氏説には限界がある」と指摘。「織田に親真の墓が建てられていたことから、親真は地元忌部家の直系実子とする『忌部説』が有力となった」としている。
また「系図に登場する人物の墓が見つかったことで、系図をもう一度検証する必要がある」と話している。
石造は6日まで、越前町織田文化歴史館で公開している。
福井新聞 2011年11月2日午前9時25分