人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

バーミヤンの大仏

中日春秋 2011年5月26日
二〇〇一年三月、アフガニスタン中部で、名高い「バーミヤンの大仏」が破壊された
世界中で悲鳴が上がったといっても大袈裟(おおげさ)ではない。東西二つの大仏などは仏教美術のルーツのような極めて貴重な文化遺産。無残にも崩れ落ちた大仏のニュース映像は、ご記憶の方も多かろう
最近、久しぶりにオマル師の名前を聞き、この世紀の愚挙を思い出した。大仏を破壊したイスラム原理主義勢力タリバンの指導者だ。例の「対テロ戦争」で、先に殺害したビンラディン容疑者に次ぐ米国の「標的」とされ、オマル師も殺害か、の情報が一時飛び交った
大仏の破壊当時、タリバンは、偶像崇拝を禁じるイスラムに反すると主張した。その教義は事実でも、だから破壊するとの態度はイスラム的ではない。今年の中日文化賞授賞式で、受賞者の一人、龍谷大の宮治昭教授(仏教美術史)の話を聞き、あらためてその意を強くした
宮治さんが初めて調査でバーミヤンを訪ねた一九六九年当時、「現地の人々は親しみを込め、大きな方の大仏を『お父さん』、小さい方を『お母さん』と呼んでいた」という。現地の人々とは無論、イスラム教徒である
異教の偶像、即(すなわ)ち本来、自分たちとは相容(あいい)れない存在の、何と柔らかな受け入れ方か。もしそれを雅量と呼ぶなら、諍(いさか)う双方の雅量の欠如こそ、「対テロ戦争」の本質かとも思う。
中日春秋

破壊されたニュースを見て何という愚かなことをと当時思った。もっとも作られた当時を見ることができたらこんな物作って何と愚かなことをと思ったかもしれない。
が、作られて時が経ち風景となり歴史となる。そうなるとそれが自然でそれを破壊すると自然破壊と同列に意識が働くから憤りを感じるのだろうか。しかし、自然の一員である人類がやった行為なんだから、破壊したことを含めて自然か。だったらそれもありということになる。
それにしても太字にした文章でううっとなる。何て涙もろくなったことか・・・昔からか。