人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

子どもは見ていた:戦争と動物/5止 ゾウ列車は夢を乗せて

 ◇2頭守られた名古屋へ全国から 奮闘の経緯、絵本に

 1943年8月、東京都は上野動物園にライオンやニシキヘビなど猛獣の処分を命じた。東京でも空襲が始まり、おりが壊れて逃げ出すのを防ぐためとされたが「国民に戦時の自覚を持たせる目的もあったのでは」という園関係者もいる。

 飼育係として50年以上動物たちを見守り続けた高橋峯吉さんは生前、上司から殺処分を告げられた時のことを著書「動物たちと五十年」でこうつづっている。

 <みんなうつむいていました。私の頭の中には40年にわたって飼育してきた動物たちの姿態が明滅していた。わたしは立っていることも耐え難くなり、そっとかたわらのいすに手をかけて、体を支えていた>

 16歳だった四男の義博さん(82)が当時の父の様子を話してくれた。「疲れた顔をしていました。仕事の話はあまりしない人でしたが、ゾウに毒入りのエサを与えていることを母に話しているのを聞いたことがあります。一人で抱えきれなかったのでしょうか」

 戦後30年が過ぎた75年。愛知県の小学校教諭だった小出隆司さん(71)は、上野動物園でゾウが餓死させられたことを描いた絵本「かわいそうなぞう」を1年生に読み聞かせた。教室はすすり泣く声でいっぱいになった。

 どうにか慰めようと、以前読んだパンフレットの一文を紹介した。「名古屋の東山動物園では2頭のゾウが守り抜かれました」。みんなの表情が明るくなった。「もっと教えて」とせがまれたが、それ以上知らなかった。追及は1カ月たってもやまず、一人の女の子が言った。「先生、うそはいけないってお母さんがいってた」

 図書館を回っても資料は見つからない。しばらくして当時の園長、北王(きたおう)英一さん(故人)の消息が分かった。「子どもたちとの約束が果たせる」と、心躍らせ自宅を訪ねた。

 通された和室で、北王さんは天井を見上げたまま身じろぎもしない。お茶をいれてくれた北王さんの妻が言葉を継いだ。「最近あなた、うなされなくなりましたね」

 北王さんが絞り出すように小出さんに言った。「あなたは私のつらい胸中をひっかきまわされるのですね」

 数日後「お話ししましょう」と電話があった。それから毎週末、小出さんは北王さんの元に通った。忘れたい痛みを掘り起こす作業は半年間に及んだ。

 ライオンやトラが銃や毒で次々殺され、4頭いたゾウはエサが足りず2頭が死んだ。無力さにうちひしがれていた北王さんを支えたのは「日本はもう1年は持たない。一頭でも多くの動物を守れ」という友人技師の言葉だった。「1年なら何とかなる」。軍や警察に何度も足を運び、ゾウを殺す命令を出さないよう訴えた。農家を回ってはクズ野菜をもらい、園内でも野菜を作り、食べさせた。

 北王さんが語り始めた8年後、もう一人のゾウの守り主が明らかになった。園に駐留する軍司令部で獣医をしていた三井高孟(たかおさ)さん(故人)だ。軍馬のエサをこっそりゾウ舎の近くまで運ばせ、飼育員が盗んでいくのを黙認していた。

 多くが貧しかった終戦直後、一人の少年が上野動物園に送った手紙が子どもたちの心に灯をともした。

 <妹はちいさいとき見たライオンやぞうのことをわすれています。絵本にかいてあるぞうをみて、うしより大きいかなどとおかしな質問をします>

 書いたのは神奈川県横須賀市に住んでいた近藤晃一君。妹のためにもゾウを買ってほしいと、自分のお小遣いも添えていた。手紙は49年3月、毎日小学生新聞に掲載された。

 この記事をきっかけに、連合国軍総司令部(GHQ)がすすめる民主主義教育の一環として設けられた東京都台東区の子供議会が「名古屋からゾウを借りよう」と決議。少年少女が名古屋まで直談判に行く。でもゾウは高齢で動かせない。そこで旧国鉄や名古屋市関係者らが奔走し、全国の子どもたちを乗せ名古屋へ向かう「ゾウ列車」を走らせた。

 「ゾウがどんな動物か、全く分からないまま夜行列車に乗り込んだんです」。当時小学4年生だった米谷(まいや)哲二さん(70)=千葉県松戸市=が振り返る。初めての長旅にみんな大興奮、列車から落ちてしまった子もいたという。

 そして朝。園に着くと、入り口近くまで2頭のゾウがノッシノッシと歩いてきた。「ウワァー」。想像以上の大きさに大歓声が上がった。「まだGHQの占領下で列車の運行も自由にはできなかったはず。子どもたちのために奮闘した大人がいたことを、語り継いでいきたい」と米谷さんは話す。

 小出さんは76年に絵本「ぞうれっしゃがやってきた」を自費出版した。最初のゾウ列車が走り今年で60年。本を基にした合唱劇も作られ、今も各地で上演されている。

 取材の最後で聞いた小出さんの言葉が深く心に残っている。「動物園に動物がいて、子どもたちと家族の笑顔がある。ごく普通のことが平和の象徴なのです」【木村葉子・42歳】=おわり


DATE:2009/08/25 14:53
URL:http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090814ddm013040143000c.html