人の土俵で褌を取る

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究極の試験問題

究極の試験問題

現代社会に生きていれば、数限りない試験、テストの類いを受けることになるが、いまだに忘れえぬ問題がある。大学時代に師事したH先生は、試験を前にした最後の授業で「何を出題するか今から教えます」と言って、学生たちを大いに喜ばせた
▼「いいですか。こんな問題です。『今年一年この講義で学んだことの中から自分で問題をつくり自ら解答せよ』…これだけです」。後日、先生は研究室でパイプをくゆらせながら、こう語ってくれた
▼「結局いい研究ができるかどうかは、どれだけいい問題を自分で見つけられるかなのです。何をどう問うのか。それに尽きるのです」
▼ことは学術研究に限らない。何が問題かを見つける。他人から与えられた問いを解くのではなく、自ら問うべきテーマを考える。H先生はテストを通じ、その大切さを教えようとしたのだ。究極の試験問題ではなかろうか
▼いよいよ都知事選が始まった。原発とどう向き合うか? そもそもこの選挙でなぜ原発を問うのか? 首都直下地震にどう備えるか? 活(い)かすべき東日本大震災の教訓は? 福祉や雇用問題にどう取り組むか?…。十六人の立候補者の問題意識を見極める「試験」の始まりである
▼試されるのは、候補者だけではない。いま首都東京の政治に、何を求めるのか。有権者一千八十二万人の「問題設定力」を日本中が見つめている。
中日新聞:中日春秋:2014年1月24日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2014012402000098.html

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