二十番割
愛知郡熱田新田西組
ここが私の生家です。
町名は次のように変わってきているが同じ場所です。
愛知県愛知郡熱田新田西組159番戸
名古屋市南区小碓町二十番割小碓町字二十番割671番地
名古屋市港区小碓町二十番割小碓町字二十番割671番地
名古屋市港区正徳町1丁目60番地
名古屋市港区正徳町1丁目67番地
現在の名古屋市港区正徳町1丁目55番地(緯度経度35.121066, 136.863231)
1949-03-08航空写真
・中部鋼鈑の大きな建屋がまだ無い。
・土古競馬場も無い。
・杁場に中洲がある(参照:2011-07-05港区の町名の由来について)
・西臨港線本体も中部鋼鈑への引込線も無い。
・整然と密集して建っているのは市営団地(当時は平屋)だが土古住宅がまだ無い。
・生家は今のハギノ機工が建っている所35.121165, 136.863207
1959-05-25の航空写真 解像度が悪いのでリンクだけ貼ります。
1959-11-28航空写真
1959年(昭和34年)9月26日に伊勢湾台風が来ているからこの航空写真を撮ったんだろうか。
西臨港線(当時D51機関車)が中部鋼鈑の引込線(軽便)*1まではあるようだ。画像上部にも『西臨港線』と黄文字で記したが引込線分岐点より直ぐ上の部分のコントラストが悪いと言うよりまだ線路が敷けていないのかもしれない。
生家の以前の『運河』は運河跡と言うべきもので上下側を埋立られ池となっている。現在の『正徳公園』。この運河の堤防と生家の間には『20番用水』と呼ばれていた農業用水が流れているがこの写真では判別できない。この用水は現在も正徳町公園西側の道路(公道)の下を流れている筈*2。(参照:2011-07-05港区の町名の由来について)
今日自分が生れ育った頃1949-03-08、1959-05-25、1959-11-28、の航空写真を見比べていた。
そうすると何も知らないことに驚いた。生家は百姓家でその家は誰が作ったのか聞いていない。聞いているのかもしれないが忘れている。多分、私の曾祖父さんだろう。曾祖母さんの名前って・・・
周りにほとんど何も無い生家と2軒の家がくっついて3軒だけ。
それにお宮さんもくっついているように見える。
お宮さんと3軒の家だけ・・・その他は田畑。
1963-05-07航空写真
この頃には中部鋼鈑には大きな建屋ができ、そこには四角柱の四面(三角柱で三面だったかも)の大きなネオン看板が取り付けられ緑の縁取りで赤い字のネオンが夜になると煌々と点いていた。昼夜を問わず茶色の煤煙を遠慮無く吐き出しそれ自体に質量があったのだろう、上にあがらず地面を這いずるように広がり風向きに因っては非常に臭かった。その匂いを「醤油の腐ったような」と母は表現していたが私は今でもその匂いを記憶している。今となっては煤煙の成分は分からない。洗濯物もひどかっただろうと推測できる。高度成長期の日本なんてこんなもんだ。『二十番用水』は農業用水にもかかわらずいろんな物が流れてきた。動物の死体、何だか分からないゴミ、油、何でもありだった。昔この用水には蛍が多く舞っていたと母に聞いたことがあったがその頃には当然居る筈もなかった。
※これらの航空写真は国土地理院からパク引用していますが地図その物に直リンを貼ることができません。元の画像を見る場合は国土地理院 航空写真画像情報検索システムのシステムの利用方法から入ってください。
関連ブログ:
2013-02-14 あおなみ線と蒸気機関車(SL)
http://d.hatena.ne.jp/nekobasu/20130214/1360820172
2011-07-05 港区の町名の由来について
http://d.hatena.ne.jp/nekobasu/20110705/1312856590
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