人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

北原佐和子

<生きる 支える 心あわせて>俳優と介護職と(上)

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「今日も元気でいきましょう!」。デイサービスのレクリエーションを巧みな話術とアクションでリードする北原佐和子さん=千葉県船橋市の学研ココファン西船橋

サイドヘアを外巻きカールにした女の子が、正方形の写真の中で愛らしく小首をかしげている。
「一九八二年に私、歌手デビューしました。これがレコードジャケットの写真。ですが、本当は歌は得意じゃなかったんです」
千葉県船橋市のデイサービス施設。集まった二十人余の高齢者を前に、オレンジのポロシャツを着た北原佐和子さん(52)が、投影機を使って自己紹介を始めた。
元アイドルで現役俳優、そして介護福祉士。この日は、レクリエーションを担当した。前半は、時代劇で共演した大物俳優との裏話を織り交ぜながら、互いの思い出を語り合うことで脳を刺激する「回想法」を実践。後半は手ぬぐいを使った体操を指導した。細い体でクルクルと動き回る。アイドル時代と変わらない大きな瞳もクルクル。「話や体操の進行が上手。楽しかったあ」。利用者の金子アイさん(85)はほほ笑んだ。
埼玉県でサラリーマン家庭に育つ。三人きょうだいの一番上。気持ちも体も弱い子だったが、両親は厳しく「抱き締められた記憶もありません」。家庭に居場所が見つけられない中、高一の時、友人と応募したティーン雑誌の読者モデルに選ばれ、芸能事務所入り。同僚の女の子三人でアイドルグループを結成してから人気に火が付き、十八歳でソロレコードデビューすると、CMの契約申し込みが三十本近く殺到した。
「大人たちが全部お膳立てをして、運転手付きの車で仕事に行く。有頂天でした。ただ、歌や芝居をきちんと習ったわけでなく、自分に中身がないのを知っていたから怖くもありました」
不安は間もなく現実になる。人気に陰りが見え始めると「周囲の人たちがスーッと離れ」、三年後にレコード会社との契約も切れた。テレビドラマなどの俳優業は続けたが、一つの仕事が終わると次が確実にあるか分からない。休業期間が二~三カ月に及ぶことも。
日本舞踊や華道、陶芸など趣味を広げたが、満たされない。「ほかにするべきことは」。自問を続けた。
二十代後半になったある雨の日。東京都内にマイカーで出掛け、運転席で待ち合わせの友人を待っていると、サイドウインドーの向こうを、手足をこわばらせて歩く若い男性の姿が目に入った。「脳性まひの人かな」。傘を差しているが、手が不自由なため、体はずぶぬれだ。
「あのっ」。何かに突き動かされ、ドアを開けると声を掛けた。「良かったら乗ってください」。待ち合わせの友人をほったらかしにして、十五分ほどの距離を自宅まで送り届けた。
子どものころから、駅の切符売り場の辺りで困っている高齢者や障害者を見かけると、どうにも気になって仕方なかった。このときは、勇気を持って行動できたことに自分でも驚いた。
「俳優と福祉の仕事との両立ができたら」-。華やかな芸能界にいながら、常に感じていた心の隙間を、その道を思い付いて少し埋められそうな気がした。
ただ、どうしたら福祉の仕事に就けるのか。当時は年齢相応の役をこなしながら、徐々に俳優としての地歩を固めていた。また、結婚・離婚といった私事も重なって、いつしか頭の中の「福祉」の存在は中ぶらりんに。そんな状態が十年ほど続いたころ、たまたま、自宅近くの障害者施設の交流祭に出向いたのを機に意を決した。
「ここで働かせてもらえませんか」
(白鳥龍也)
TITLE:<生きる 支える 心あわせて>俳優と介護職と(上):暮らし:中日新聞(CHUNICHI Web)
URL:http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2016113002000004.html
2016年11月30日

<生きる 支える 心あわせて>俳優と介護職と(下)

http://img.atwikiimg.com/www45.atwiki.jp/jippensha/attach/57/5081/72_%E5%8C%97%E5%8E%9F%E4%BD%90%E5%92%8C%E5%AD%90.jpg
「いのちと心の朗読会」の後、お年寄りから「心に染みました」と励まされる北原佐和子さん=埼玉県川越市特別養護老人ホーム「蔵の町・川越」で

水戸黄門」「暴れん坊将軍」「はぐれ刑事純情派」「牡丹(ぼたん)と薔薇(ばら)」-。名だたるテレビドラマへの出演歴を持つ元アイドルで俳優の北原佐和子さん(52)。
不規則な俳優業の合間の時間を、福祉のために使おうと決めたのは四十歳を前にしたころだった。最初に障害者施設に飛び込みで就労を願い出たが、「(俳優との掛け持ちでは)シフトが組めない」とあえなく“撃沈”。「本気度を見せよう」と四十三歳でホームヘルパー二級の資格を取ってからは、介護情報誌を手に三十軒近い施設に電話をかけまくり、ようやく東京都内のデイサービス施設へのパート勤務が決まった。
華やかな衣装を着てまばゆいライトを浴びる世界から、利用者の失禁の対応に追われる立場へ。「あ~見なかったことにしたい」と落ち込んだ。それでもあるとき、便秘に苦しんでいた女性がトイレでやっと排せつでき「ありがたや~」と唱えていたのを聞いて気付いた。「お年寄りにお通じがあるのはとても大切なこと」。以来、利用者がトイレ外で漏らしてしまっても必ず「すっきりして良かったですね」と声を掛ける。
「私の物を取ったろう」「おまえの世話にはならん」。きつい言葉を投げつけられたり、介助を拒絶されたりすることをどう受け入れ、どう声掛けするか。そんな時は、自分ならどうしてほしいかを考える。
「今までできていたことができなくなったいら立ちが、気難しく見せることもあるはず。その人の人生を理解すれば腹も立ちません。むしろ人間らしさがチャーミングと思える」。監督の要求通りに役作りをしなくてはならない俳優業で、柔軟性が磨かれたことも役立った。
介護職経験は既に約十年。この間、グループホームなど三施設で働く。多いときは週六日。京都での撮影後に上京し、夜勤をこなすこともある。二年前には介護福祉士、そして先月にはケアマネジャーの資格も取った。
こうして悟った「人の心に寄り添う大切さ」は、三年前から「いのちと心の朗読会」と題する場を通し、広く子どもや高齢者に伝えるようにもなった。自身を含むボランティアスタッフが学校や施設を巡り、スクリーンに映し出された風景写真や音楽に合わせ、子どもたちが書いた詩や作文を朗読する。いずれにも、自分自身や家族を大切にしたいとの願いがこもる。「命はみんなかけがえのないもの。いじめや自殺がなくなることを願います」。最後には、涙をこらえながら訴えている。
誰からも「たいへんね」と言われる俳優業と介護職の「二足のわらじ」。だが、俳優には「演じる楽しさ」、介護には「自分らしく存在できる充実感」がある。「俳優・北原佐和子」は、撮影所などに向かうため自宅を一歩出た瞬間から、無意識のうちに、どこから人に見られてもいい自分になる。「介護職・北原佐和子」は、人間と人間の関わりの中で、ありのままの自分をさらけ出す。
そして何より「利用者の笑顔に触れるだけで元気になれる」と、きっぱり。だから自分も笑顔を絶やさない。「排せつの対応に追われてしまうときも、鏡の中の自分に向かってこう言えば笑顔になれるんですよ。よしっ、これでウンがついた!って」。目を輝かせながら、大きなガッツポーズをつくった。
(白鳥龍也)
TITLE:<生きる 支える 心あわせて>俳優と介護職と(下):暮らし:中日新聞(CHUNICHI Web)
2016年12月1日
URL:http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2016120102000002.html

女優で介護福祉士北原佐和子さん

2016/5/8 紙面から
両親にとって、私は理想的な子どもではなかったと思います。三人きょうだいの長女ですが、運動はだめで自転車にもなかなか乗れない。父は活発な男の子を望んでいたので、そんな娘を「情けない」と感じたことでしょう。
母も私に「頑張りなさい」と言いました。頑張っても何もできない自分がすごく悲しくて、居心地が悪かった。将来の仕事も、両親からは「警察官か看護師か体育教師」と言われ、視野の狭い厳しさが窮屈でした。
デビューしたのは高校二年の時でした。アイドルに憧れていたわけではないんです。早く家を出たいという一心でした。寮に入りましたが、さみしくはなかった。両親以外の大人が私を認めてくれるきっかけができて、将来への光が見えた気がしました。
女優の仕事は不規則。休みが長く続くこともあり、だんだん趣味だけでは満たされなくなりました。そんなとき、障害がある人から陶芸の皿を贈られて心が癒やされたり、ダウン症がある子どもと関わったりする経験ができました。私にも何かできないかと考え、ホームヘルパー二級の資格を取りました。
どこかの施設で働こうと、手当たり次第に電話して、都内の高齢者施設に勤めることになりました。そこで五年働き、その後グループホームなどにいて、今はデイサービスに行っています。月に二十日、勤務することもあります。
介護職は利用者をサポートする仕事。スタッフに支えられる女優とは正反対のようですが、介護も女優も人物を掘り下げて理解するのは同じ。ファンや利用者が喜ぶ顔が見たいと必死になるのも一緒です。女優の仕事で学んだことを介護に生かせています。例えば、舞台で会話が聞こえているのに、聞いていないふりをする芝居に困り、演出家から「舞台で消えればいい」と教えられたことがありました。その経験から、排せつをお世話するときは、トイレの壁になったつもりで気配を消しています。
妹に介護の仕事をしたいと打ち明けた時に「お姉ちゃんにはできない」と言われました。妹は両親の期待に応えて看護師になったので、介護の大変さが分かるのでしょう。でもそう言われたのが悔しくて、それが仕事を続ける原動力になったのかな。今は十月にあるケアマネジャーの試験に向けて勉強中です。
父と母は健在です。いざというときは、私が世話する覚悟です。施設で両親と同世代の人と接する時は、その人の娘になった気がして、喜んでくれることをしてあげたいと自然に思います。親との関係をうまく育めなかったから、介護の道に進んだのかなと思っています。
(聞き手・出口有紀、写真・隈崎稔樹)
<きたはら・さわこ>1964年生まれ。埼玉県出身。高校在学中に、漫画雑誌のコンテスト「ミス・ヤングジャンプ」に選ばれ、芸能界デビュー。アイドルとして活躍後、女優に。2007年にホームヘルパー2級、14年に介護福祉士の資格を取得した。著書に「女優が実践した介護が変わる魔法の声かけ」(飛鳥新社)がある。オフィスケイ所属。
TITLE:女優で介護福祉士北原佐和子さん | 家族のこと話そう | 朝夕刊 | 中日新聞プラス
URL:http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=363898&comment_sub_id=0&category_id=442&category_list=442&from=life&genre=special

北原佐和子 - Wikipedia

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