中日春秋 海外での戦没した日本人およそ二百四十万人
収容された遺骨は百二十七万柱
高い梢(こずえ)に
青い大きな果実が ひとつ
現地の若者は するする登り
手を伸ばそうとして転り落ちた
木の実と見えたのは
苔(こけ)むした一個の髑髏(どくろ)である
▼詩人・茨木のり子さんが戦後三十年の節目の年に発表した「木の実」だ。南の島の激戦地。戦死した日本兵の骨を、枝に引っ掛けたまま空に向かって伸びていった果樹…
▼茨木さんは書き進める。
生前
この頭を
かけがえなく いとおしいものとして
掻抱いた女が きっと居たに違いない
この髪に指からませて
やさしく引き寄せたのは どんな女(ひと)
もし それが わたしだったら…
▼そういう骨が戦後七十年たった今も、どこかで眠る。海外での戦没した日本人およそ二百四十万人。しかし、収容された遺骨は百二十七万柱ほど。あすから天皇・皇后両陛下が訪問されるパラオ共和国も、一万六千人の日本兵が命を散らした地。まだ帰還を果たせぬ遺骨が眠る島々である
▼<もし それが わたしだったら…>。そこまで書いて、茨木さんの筆は止まったという。何年たっても続きが書けず、遂(つい)には詩をこう結んだ。
嵌(は)めるべき終行 見出せず
さらに幾年かが 逝く
もし それが わたしだったら
に続く一行を
遂に立たせられないまま
▼もし それが わたしだったら…。そう問うのをやめた時、戦没者の遺骨は本当に風化してしまうのだろう。中日春秋(朝刊コラム):中日新聞(CHUNICHI Web) - 2015年4月7日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2015040702000096.html
遺骨は一般にも『柱』と数えるらしいが今回は『体』の方が良かったかもしれない・・・と感じた。
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