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人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

『3月10日まではいい日だったね』

東日本大震災から二年

 <お母さんがいたら、いろんなことができたね。ケーキとかつくったりできたよね。保育園から帰ると、お母さんが作ったおやつを食べさせてくれたね。3月10日まではいい日だったね>と、岩手の小学三年の女の子は書いた
▼『3月10日まではいい日だったね』は、震災遺児らを支援する「あしなが育英会」が出した作文集だ。表紙は、あの一本松の絵。お父さんが行方不明になった九歳の少年が描いた
▼彼は天に伸びる勢いの松を描いて、言葉を添えた。<がんばれ一本松 ぼくのお父さん どこにいるか みえないかな。 みえたら おしえて 一本松 おねがいするよ>
▼東日本大震災で親を失った子どもは千五百人を超える。あしながの作文集を読めば、この千五百の心が抱えるだろう想(おも)いが、脈を打ち伝わってくる
▼宮城の小三の女の子はあの日、母さんとけんかして、謝りもせず学校に行った。「母はもう怒ってないだろうな」と思いながら家へ帰る途中、地震が起きた。学校に戻り夜を明かした。みんなには迎えが来たのに、母さんは来なかった。死んでしまった
▼二年前のきょうは金曜日だった。少女は、書く。<私はお母さんが見つかってから金曜日の2時46分に、ベルを鳴らしています。そしてお母さんに「ゴメンネ」を送っています。ちゃんと聞こえていたらいいです>。きっと、聞こえているよ。
中日春秋:コラム(CHUNICHI Web) - 2013年3月11日(月)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013031102000108.html

(´;ω;`)うっおっうぇあぁあぅおぉぉ

【東日本大震災2年】 3月11日からのヒカリ

http://www45.atwiki.jp/jippensha/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B007&file=26_3%E6%9C%8811%E6%97%A5%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%AA.jpg

東日本大震災から2年 宮城県気仙沼市で「3月11日からのヒカリ」プロジェクトが行われ、気仙沼市内湾に3本の光の柱が立ち上がった。午後6時半、防災無線から流れる「見上げてごらん夜の星を」を合図に点灯した。日付けが変わるまで5時間半の間、気仙沼を照らす=11日午後、宮城県気仙沼市(鈴木健児撮影)
MSN産経フォト - 2013年03月11日
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2013/03/11/33kesennuma/

【東日本大震災2年】 感謝、世界に伝えたい

http://www45.atwiki.jp/jippensha/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B007&file=25_%E6%84%9F%E8%AC%9D%E3%80%81%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%84.jpg

仙台市若林区荒浜の被災地に浮かび上がった感謝のメッセージ。地元の小学校を卒業し「町づくりは明るい気持ちでいかなくては」と話す高山智行さんらが企画し「追悼だけでなく感謝の気持ちを世界に伝えたい」と約3千本のろうそくに火をともし完成させた=11日夜
MSN産経フォト - 2013年03月11日
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2013/03/11/34arahama/

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2013-03-13追記

昨日の新聞には当然3・11の特集記事で一杯だった。
石巻・大川小学校に通っていて被災し亡くなった子を持つお父さんの話があった。
どれを読んでも涙が落ちてしまう。
http://www45.atwiki.jp/jippensha/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B007&file=30_%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E8%A2%AB%E7%81%BD%E8%80%85%E6%95%B0.jpg
この人数とその家族と友人の数だけそのような話があるのだろう。

中日春秋

「心にふたをすると、中はうみでぐちゃぐちゃになる。うみを出して縫い合わせる作業が必要なんです」。宮城県名取市の心療内科医桑山紀彦さんには、被災者の多くはまだ津波に向き合えていない、という思いがある
▼開業していたクリニックが被災。自家発電機を回して救援に当たった桑山さんは、ユーゴ紛争やスマトラ沖大地震などの医療支援にかかわり、被災者らに寄り添ってきた
▼命の危険を感じた人が心の傷を放置すれば、やがて心的外傷後ストレス障害(PTSD)という魔物になり心を蝕(むしば)む。そんな現場を見てきた医師が引き受けたのは、住民の一割以上が犠牲になった閖上地区の子どもたちの心のケアだ
▼震災前の街並みや目撃した津波の光景を紙粘土などで再現してもらい、短編映画の制作などを通じ、埋もれた記憶を整理する手助けをしてきた。「あの日」と向き合えるようになると、未来を描く力が湧く。心配なのは大人なのかもしれない
▼「つらくて忘れたいのは当然。でも、いつかふたを開け、あの日のことを吐き出さなければならないのに、忘れれば楽になる、と思っている被災者が多い」と桑山さんは心配する
▼記者に話をすることで、つらい記憶が整理される人もいるという。被災者の言葉にひたすら耳を傾け、伝えてゆく。地道な積み重ねが、風化を防ぐことにつながると信じている。
中日春秋:コラム(CHUNICHI Web) - 2013年3月13日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013031302000098.html

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