人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

直木賞作家 朝井リョウ

朝井リョウさん

小学校四年の時の担任の先生は毎日、日記を出させ、丁寧に感想を書いてくれた。先生が感心したくだりには、赤ペンで線が引かれていた。先生の筆跡が楽しげに躍っていると、こちらの心も躍った
▼ウン十年前のそんな思い出が蘇(よみがえ)ったのは、夕刊文化欄で直木賞作家・朝井リョウさん(23)のエッセー『私の小説の原点』を読んだからだ。朝井さんの小学校時代の担任の先生も毎日、クラス全員の日記に目を通し、感想を書いてくれたそうだ
▼先生がある日、「まるで小説を読んでいるみたい」と評してくれた。その言葉に促されるように小説を書き上げ、渡した。先生は教職を象徴する赤ペンではなく、黒い字で、感想を書いてくれた
▼それが朝井さんにとって、決定的な瞬間となった。<このとき、先生が、「先生と生徒」ではなく、ひとりの人間同士として、自分と向き合ってくれたのだと思った><文章をあいだに挟めば、「自分とちがう」と思っていた人たちが、自分に向き合ってくれるのだ>
▼教室では、こんな素敵(すてき)な化学反応が起きうる。それも先生たちに一人一人の子を見つめる余裕があってのことだが、日本は一学級の人数が、先進国の中で際立って多いという
▼先生を増やし、少人数学級化を進める計画の実施を政府が見送った。学力の国際比較で大騒ぎするなら、世界に誇れる教育環境にしたらどうか。
中日新聞:中日春秋:コラム(CHUNICHI Web) - 2013年1月29日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013012902000088.html

2013年2月7日追記

朝井リョウ 直木賞に決まって サラダがおいしいと言われたような

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130207/art13020707400002-n1.htm
この文章は歳とってからちょっと恥ずかしい思いをするかもしれない。
相手は挨拶のつもりで「私はあなたを気遣って(知って)いますよ」と親や先代のことに触れただけなのに、相手が変わっても何度も同じ事を言われているから癇に障って「いい加減比較するの止めてくれないかな、自分は自分親は親だし自分はもはや親や先代を超えているし問題はそこじゃないでしょう」と反抗しているような感じがする。

「鋭い観察眼」

ほとんどの人は持っていない。朝井リョウが観て普通に思った事を聞いたり読んだ人がびっくりしたからそう表現しただけ。

「瑞々しい感性」

これも上と同じ。若いからその感性があるのではなく、若い時から才能のある人だけが持っている特別な感性で自分にもあった気がするだけの負け惜しみの表現。

「自分の若いころを思い出して胸にグッときました」

若い頃は気が付いていなかったのに朝井リョウの文章に触れて「ああ、そう言えばそうだった」と今頃気が付いただけ。
つまり、それでは悔しいのでそれが自分にも理解できるし、そういう時が自分にもあったと少しの優位性も出しつつ褒め言葉のように使って負け惜しみを言っているのだから軽く受け流しておけば良かったのにこのように言うから、今迄その言葉を使って挨拶をした多くの人が恥ずかしい思いをし反感を買ってしまったのではないかな。



俺は何て文章ヘタなの、いやんなる
↑のように隠し文字にするのはブログではやっては行けないこと、マナー違反なのだろうか?

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『いじめ』『部活のコーチによる暴力』

やはり違うな。小さい頃から既に大人だ。文章も上手かったのだろう。私ときたら未だに文章はこんなんだし・・・
最近『いじめ』『部活のコーチによる暴力』そして女子柔道五輪の代表監督による『パワハラと暴力』まで出てきた。

Wikipedia 体育会系

以前にも書いたが徒然なるままに子供の頃のこと書いてみる。
書いていると「ああ、そうだった」と思い出すこともあり面白い。
兎に角私は学校が大嫌いだった。
幼稚園も大嫌いだった。
幼稚園や学校に居る間は何していたのだろう。
体育、図画、音楽以外の授業時間は存在を消し帰ってから外(お宮さん)で遊ぶことしか考えていなかったような気がする。
日曜日は朝早くに起きて遊びに出て昼食にも帰らず、『ぼうや(ボーヤか分からないが鬼ごっこの総称)』の逃げている時に家に寄り味噌汁かけご飯を立ち食いし直ぐに『ぼうや』に復帰する。それでも夕方なりエネルギーが切れヘトヘトになって家に帰り着く。お袋が言っていたが風呂で眠ってしまったこともあったそうだ。
小学校低学年は毎日午後8時頃には寝ていたんじゃないだろうか。
テレビはあったがほとんど観ていなかった。
大好きな叔父が(数泊の社員旅行から)帰って来るというので座敷の柱時計の見える所でずっと待っていたことがある。午後9時の時刻を確認した記憶がある。多分その後沈没したんだろう。
『毎日の日記』
私はそんな宿題があったら学校に行かない。
いや、宿題というものを完全に無視していた。そのことで怒られようが立たされようが叩かれようが。幸いそんな事で叩く先生はいなかった。全然関係のないことや私が自信を持って書いた絵をそんな風景は無いと両耳を持ち引っ張り上げた幼稚園青組の先生*1給食がどうしても食べることができなく次の授業の時間になっても一人だけ食べさせられ*2結局熱を上げ次の日は休んだこと*3、私が言った家族の人数が違うでしょう*4と怒り心頭で「嘘を就きなさい!」とヒステリー気味に怒鳴った小学1年生の時の先生*5の二名は別で一生許すことはできない。
2年生の時は1年の時と同じ女の先生と思うが記憶から欠落している。
小学3年の時この世で一番優しいつねばあちゃんが死んだ。葬式の次の日に学校でやさしい言葉を掛けてくれた宇佐美先生、贔屓をしなかった4年の時の大橋先生*6、小学校の先生の中で一番怖いだろうと思っていた体育系の5・6年の時の担任菅原先生は生徒を殴らなかった*7。ただ、無理やり陸上部に入れさせられた。本当は球技部(ポートボールやオフサイドルールのないサッカーやソフトボール等をやる遊びのような部活)に入りたかったのに「何い、球技部う?はい、お前は陸上部だな」と強引に書類に書き込んでしまった。それから土曜日は弁当を持って行って食べたら学校の塀を乗り越えさようなら。それ以外の日は授業が終わると一目散に逃走。校外で菅原先生に捕まったこともあったが*8一度も殴られはしなかった。
中学高校の時も殴る先生には合ったことがなかった。
中学1年の時前の席の奴*9が剣道部に入れとうるさく、兎に角うるさく言うので少し剣道部に在籍したが*10顧問の先生は勿論、先輩達も殴らなかった。
他の部活ではどうだったんだろう。
馬術部が厳しいのは知っていた。友人が辞めさせてくれないと悩んでいた。
水泳部も厳しかったかもしれない。
水泳部を担当していた斎藤松次郎先生は「まっつあん」と呼ばれて親しまれていた。
体育の水泳((夏の2時限だけだったと記憶している))の授業では「何泳ぎでもいいから兎に角50mを早く泳げ。泳げない奴のためにコースロープを一本張っておく。それにつかまって50m向こうまで早く行け。船舶事故か何かで大型船が沈む時には出来るだけ早く離れ、巻き込まれないようにすることが大事」と言われ一所懸命クロールと背泳ぎで泳ぎ切った。泳げ無い奴のために海にもコースロープがあるのかと・・・まあいいか。
代数の伊藤先生は遊びに近い格好で尻を出席簿で殴ると言うのはあった。人によっては痛がっていたが私はさほど痛くはなかった。この先生は教え方が上手で皆数学が理解できていたようだ。成績も全体的に良かった。幾何の木村先生の時も何故か理解できた。この先生も怖かったが殴りはしなかった。
大学では今井先生に教えて頂いた。多分、先生の言う事を一言も漏らさず聞いていた。先生に言えば笑われるだろうがこの時生まれて初めて『予習・復習』という勉強をして授業を受けた。大学生にもなって『予習・復習』とわざわざ言うのも恥ずかしいが、「ああ、学生の勉強とはこうしてやるものなのか」と気が付き高校の頃の数学、化学の参考書や百科事典を読んでみた。理解できない筈はないと思って読むと理解できる。ただ意味のない数値や興味の持てない事柄が記憶できない。多分、無理やり覚える、忘れる、覚えるの繰り返しとかのコツがあるのだろう。円周率でも覚えてみるか・・・しないだろうな。[]


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*1:氏名は分かっていますよ。あなたのことだ。

*2:吐くことは皆の手前恥ずかしくてできないのでほんの少しずつ食べたようだ

*3:苦い物、酸っぱい物は『毒』で基本食べてはいけないと人間のDNAに刷り込まれている。これらの物が食べられるようになるには毒ではないと学習して身体が受け付けるようになるまで待つしか方法がない。多分食べられないと言うのはその者にとっては「毒」だからで、親が食べていなかった物は食べてはいけないと無意識に学習させられその信号が脳から出ているのだと思う。動物の世界の、例えば草食(苔)の鮎と肉食性が強いカワムツのように『食い分け』と同じで、このルールを無視はできないように刷り込まれている。

*4:家に帰ってから母に確認したが間違っていなかった。ただ、私は同居の叔父を家族としていたが学校にはどのように申告してあったのか分からない

*5:当然氏名は分かっていますよ。あなたのことだ。

*6:ただ、女の先生で運動のことは分からなかった。この4年の時、他クラスで毎日数人を並べてビンタという暴力先生がいて聞くだに恐ろしかった。

*7:一度だけ怒って男子生徒数人にビンタをしたがあれは殴られた者も納得しているだろう

*8:菅原先生は野球部の担当で陸上部を見に来ることはあっても直接関係ないのに

*9:一度も友人と思ったことはない

*10:その前の席の奴は親が勧めたのか防具一式自前で持っていた。ただ運動音痴で弱いのでびっくりした。このブログをそいつが見ても何ら構わない。そいつは授業を全く聞いていない。直ぐに後ろを向き話しかけてくる迷惑な存在だった。親から先生に席替えを頼んだが聞いてもらえなかった。こんな時暴力って必要?