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人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

特定秘密保護法

特定秘密保護法

政治と宗教と野球の話はしない方がいい

政治と宗教と野球の話はしない方がいい。特に初対面の人、公の場では-。野球はともかく、政治も宗教も下手に口にすれば、口論になるので避けた方がいいという「知恵」だろう
▼起源は「党派対立」が伝統的に根強い米国かもしれない。「君たちが全員、共和党支持者だといいなあ」。一九八一年三月、銃撃されたレーガン米大統領は手術直前、医師団にこう言った。実話である
▼もちろん冗談だが、共和党出身のレーガンさんとしては確認しておきたかったのかもしれない。医師団の答えがちょっと怖い。「ええ、本日に限り、共和党支持者ですよ」
▼どうも日本もそんな国に向かっている気配がある。原発再稼働、沖縄、TPP、消費税、特定秘密保護法案。国民の間で意見が分かれる問題を政治は次々と放ってくる。その問題の箱から、黒いガスが広がっている気がしてならない
▼黒いガスに触れると人は考えの異なる人を憎むようになる。この人は原発を、特定秘密保護法案をどう考えるのか。自分とは違うみたいだぞ。どこかへ消えろ
古代ローマ分断統治を狙っているとは思わないが、国民を憎み合わせることで得をするのはだれか。党派や政策の是非で医者を選ばなければいけない時代なんて、まっぴらである。「平和と愛と理解のなにがそんなにおかしい?」。エルビス・コステロの古い曲が聴きたい。
中日新聞:中日春秋:2013年11月24日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013112402000084.html

一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計である

誰が言ったのか定かならぬ警句がある。「一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計である」。独裁者スターリンが言ったという説もあれば、ナチスのユダヤ人大虐殺に関わったアイヒマンの言葉ともされる
▼アイヒマンは、一九六〇年に逃亡先の南米でイスラエルの秘密機関に捕らえられ、エルサレムで裁かれた。六百万人を死に追いやったと糾弾された彼が、現実に法廷で口にしたのはこういう言葉だった。「私は命令に従ったまでです」「殺害するか否かは命令次第です」「事務的に処理したのです」
▼東京に続き、きょうから名古屋などで上映が始まる『ハンナ・アーレント』は、大量殺戮(さつりく)時代の悪の本質に迫ろうとした哲学者を描く映画だ
▼収容所の恐怖を体験したアーレントは裁判を聴くうち、アイヒマンを怪物扱いする法廷と世論に違和感を抱くようになる。「彼はどこにでもいる人。怖いほど凡人なの」「彼に罪の意識はまったくない。法に従ったからよ」
▼まじめで組織に忠実な人が、自ら考えることをやめた時に結果として為(な)す「悪」。彼女が見たのは、ごくありふれた悪の姿だった
▼アーレントは名著『イェルサレムのアイヒマン』で記している。「政治においては服従と支持は同じもの」。百万の悲劇を単なる数字に変えてしまうのは、怪物のような政治家ではなく、私たちに潜む凡庸な悪なのだろう。
中日新聞:中日春秋:2013年11月23日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013112302000100.html

潜在的核保有国

一九六四年の十月、日本が東京五輪に沸いているまさにその時、中国は初の原爆実験に成功する。当時の佐藤栄作政権内には「米国の核の傘による抑止力だけでは不十分」との見方が広がった
▼首相直轄の内閣調査室(内調)は極秘の研究に着手する。テーマは、日本の核保有の可能性について。内調には、首相のブレーンとなる政治学者から報告書が出された。そこには、非核政策をとりつつ、核兵器に転用可能な技術は持ち続ける「潜在的核保有国」を目指せと書いてあった
▼「原子力の平和利用に大いに力を注ぐと共に、他方では日本が国産のロケットによって日本の人工衛星を打ち上げる計画を優先的に検討するよう…」。核と宇宙技術の平和利用の陰に、潜在的核保有国という刀をしのばせろという訳だ
▼日本の原発政策はどのような歴史的文脈と国家戦略の中で進められてきたのか。その歩みを検証した本紙の連載が、『日米同盟と原発-隠された核の戦後史』として刊行された
▼自らの立場が損なわれることを覚悟しつつ「歴史のために」と証言し、機密文書を提供してくれた元官僚らの存在なしでは、迫ることができなかった真相の一端がそこにはある
▼こういう調査報道も、もう不可能になってしまうかもしれない。犯罪とされうるからだ。与党が成立を急ぐ特定秘密保護法案とは、そういうものである。
中日新聞:中日春秋:2013年11月22日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013112202000101.html

矢吹丈三島由紀夫の最期

生きているのか、死んでいるのか-。「あしたのジョー」の最終回。コーナーの丸椅子にうなだれて座るジョーはかすかに笑っている。あの最終回が、「少年マガジン」(一九七三年五月十三日号)に掲載されて四十年になる
ちばてつやさんは「何とでも、とれるように描いた」という。どちらでもいい。ジョーは判定で負けたが、「真っ白な灰になるまで」戦った
▼二十五日は「憂国忌」との言い方もする「三島忌」である。七〇年のこの日に三島由紀夫自衛市ケ谷駐屯地で割腹自殺した。三島もジョーのファンだった。『昭和45年11月25日』(中川右介著・幻冬舎)に教えられた
▼ある日、三島はマガジンを買い忘れた。ジョーの続きをどうしても読みたかった三島は深夜、編集部にやってきて一冊売ってくれないかと頼んだ
▼死をもって主張を貫いたともいえる三島の自決に対し一種の焼身自殺で是認できないと書いたのは吉行淳之介さんだが、ジョーと三島の最期ならどっちが美しいかと考えてしまう
特定秘密保護法案が二十六日にも衆院を通過するという。民主党はどうするのだろう。政府・与党を批判し、悔しいと泣いて終わりか。仮に衆院を通過しても成立までには時間が残っている。みっともなくてもボロボロになろうと、「知恵」のパンチを出し続けなければならぬ。潔い幕切れなぞ見たくもない。
中日新聞:中日春秋:2013年11月25日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013112502000079.html

この所中日春秋は特定秘密保護法は止めてくれと連日うめいている。
アイヒマンの言葉「私は命令に従ったまでです」の『命令』を『法律』に置き換えることができる。
数十年後の役人はその職務に従って特定秘密保護法を厳密に解釈しそれに抵触するかもしれない物は問答無用で公開しないしそれに違反した者は逮捕し処断するだろう。
日の丸君が代の時も「民主国家たる今の日本でそんなことを厳しく執行し取り締まれますか。日の丸を国の旗として尊重し君が代を斉唱し日本人としての気持ちを表現しましょうよ」風なことだった。
それが今では、公務員に限ってだが『起立しなかった口が動いていなかった』と・・・
今日26日特定秘密保護法案が衆院を通過する。
各野党はどうするか。格好悪いことができるかな。
票にもならないし「ささ、終わった終わった」で行ってしまうのか。

絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない

安倍晋三首相が子どもの時、六〇年安保闘争デモをまねして「アンポハンタイ、アンポハンタイ」とふざけていたら父親の安倍晋太郎さんは、「サンセイといいなさい」とたしなめたが、祖父の当時の岸信介首相は「それをニコニコしながら愉快そうにみているだけだった」という。安倍首相の『新しい国へ』にある
▼岸さんにそんな余裕があったかどうかはともかく、特定秘密保護法案の反対デモを「ニコニコ」とは見られない政治家がいる
▼自民党の石破茂幹事長はブログでデモについて「絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と書いた。デモもテロも同じ。ガンジーキング牧師もびっくりしているだろう
▼殺人や破壊行為によるテロと「表現の自由」による市民の主張であるデモを同じに扱うのならば、この国に少なく見積もっても数十万人単位のテロリストと「本質的に変わらぬ」人がいるということか。石破さんはそんな国の与党の首脳ということになる
▼「糞(くそ)も味噌(みそ)も一緒」とはこのことで、国会周辺のシュプレヒコールに石破さんも冷静さを失ったのか、国民の声を敵視してしまっている
▼ブログを続けてみよう。「己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう」。そっくり自民党に言い返せる。その通り、共感は呼ばない。
TITLE:中日新聞:中日春秋:2013年12月2日
URL:http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013120202000081.html

第三極=いざとなると与党にすりよる野党

辞書を編むというのは、想像を絶するほどの労力と時間を要する営みだ。書物の深い深い森に踏み入って言葉を探り、用い方の変遷をたどり、定義づける。五十万項目と百万の例文を収める『日本国語大辞典』にいたっては、作業開始から第一版の刊行完了まで十五年もかかったそうだ
▼この名辞典で「第三者」と引いてみる。<当事者以外の人。ある一つの事柄に関係していない人>。すこぶる明確な定義である。辞書と同じく法の眼目も言葉の定義づけなのだが、こちらの「第三者」の定義は融通無碍(ゆうずうむげ)とみえる
特定秘密保護法案では、何が秘密かは閣僚らが決めることになっているが、それが真に国民に秘すべきものか否かを点検するのは、首相の役割とされる
▼「首相は第三者的に確認を行うことが可能だ」からというのが、安倍首相の国会での説明だ。秘密指定を検証するための第三者機関設置も議論されているものの、これも政府内に置くことが前提とされる
▼政府の長たる首相を<当事者以外の人>とみなしうるのだとしたら、国語辞典の「第三者」の定義に、こんな説明を加えた方がよさそうだ。<但(ただ)し、日本政府が第三者と呼ぶ場合、当事者と同義であることがある>
▼そういえば「第三極」なる言葉もここ一年、よく聞いた。これは<いざとなると与党にすりよる野党>とでも定義し直した方がいいのか。
TITLE:中日新聞:中日春秋:2013年12月4日
URL:http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013120402000103.html

「分かる」という文字

「分」という字の中には、刀がある。八の字を左右に切りわけるから、分ける。そして「分ける」という言葉から、「分かる」も派生したという
▼確かに、分けることは、分かることの始まりだ。植物と動物、蝶(ちょう)と鳥、星と月…。そのものの形と質の違いを見極めて、分類を重ねることで、人間は自然への理解を深めてきた
▼逆に言えば、きちんと分けられないということは、分かっていないということだ。デモをテロと同一視した自民党の幹事長は、恐らく分かっていないのだろう。民主主義における自由の本質と、それを脅かす恐怖との違いが
▼いや、一政治家の問題ではない。特定秘密保護法案は、テロを<政治上その他の主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要…>する行為だとする。漠としたこの定義で、何がテロかを区別できるのか。これならば、デモをテロと呼ぶことすらできるのではないだろうか
▼そもそも、どの情報が守るべき秘密かを分ける物差しの形すら曖昧模糊(あいまいもこ)として、国民には分からない。国を動かす情報を切りわける力を持つのは、閣僚と官僚だけ。民主主義とは、刀の代わりに言論を戦わせる制度だが、正確な情報がなくては、分別の刀もふるいようがない
▼要するに、秘密保護法とは、政府に都合の悪い言論を封じるための、現代民主主義版「刀狩り」のようなものではないのか。
TITLE:中日新聞:中日春秋:2013年12月6日
URL:http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013120602000108.html

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