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人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

小沢昭一

俳優の小沢昭一さんが死去

個性的な脇役として舞台やテレビドラマで活躍し、独特の語り口でラジオ番組の名パーソナリティとしても知られた俳優の小沢昭一さんが、10日、東京都内の自宅で亡くなりました。83歳でした。
小沢さんは昭和4年に東京で生まれ、早稲田大学に進学後、在学中から演劇を始め、俳優座養成所を経て昭和26年に初舞台を踏みました。昭和29年には映画に初出演し、翌年からは日活映画を中心に活躍しました。また、昭和57年からは1人だけの劇団・しゃぼん玉座を主宰し、井上ひさしさんの作品を上演して好評を博しました。
小沢さんは、歌や踊りなどの民衆芸能の研究も手がけるなど、いわゆるマルチタレントとして知られ、昭和48年から40年近くにわたってパーソナリティーを務めたラジオ番組、「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は、独特の軽妙な1人語りが人気を集め、1万回を超える長寿番組になっていました。
こうした功績が認められ、平成12年に放送文化基金賞を受賞、平成13年には勲四等旭日小綬章を受章しました。
しかし、10年以上前に前立腺がんを患い、ことしの9月24日からは長年続けてきたラジオ番組を休んで療養を続けていましたが、10日午前1時20分ごろ、東京都内の自宅で妻に見守られながら亡くなったということです。
NHKニュース - 12月10日 13時2分


先月だったかな「小沢昭一の小沢昭一的こころ」番組の終わりに録音だったけど近々復帰しますといつもの調子で滑舌よく言っていたのに残念だ。
「小沢昭一の小沢昭一的こころ」ファイル保存しておこう。

2012年12月12日追記

今聞き直してみたら復帰するとは言っていなかった。「また明日の心だあぁぁ」と言っているから勝手にそう思ったのかもしれない。

Youtube小沢昭一の小沢昭一的こころ最期のメッセージ

http://www45.atwiki.jp/jippensha/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B006&file=17_%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E6%98%AD%E4%B8%80003.jpg

中日春秋

小沢昭一さんは、九十九歳になったその日の夜に、この世を去ることを期していた。誕生日は四月六日。人間は生まれた日に死ぬべきもの、というのが持論だったらしい
▼辞世の句も幾つか用意してあった。映画のロケ中に崖から落ち、大けがをしたことがある。その時思ったそうだ。いざとなったら、とても辞世の句はできない。つくっておこう。そこで一句<出来すぎと思うわが世の春惜しむ>。こんな句も。<あと三日生きて香奠(こうでん)調べたし>
▼同級生のフランキー堺、加藤武さんといった後の名優たちと演じた中学校の演芸会が、俳優としての第一歩だった。一人だけの劇団「しゃぼん玉座」を主宰し、一人芝居で至芸を見せ続けた
▼ある日、学習院高等科の生徒たちが一人芝居を見に来た。あまりに観劇マナーがいいので、数人を楽屋に招き入れた。いつものくだけた調子で応対したら、中の一人が帰りがけ小声で、「僕、アヤノミヤです」「母がファンです」
▼殿下と知りさすがに内心慌てたが、態度を豹変(ひょうへん)するのも…とそのままの口調で、「そうかい、じゃ、オッカサンによろしくね」
▼<志ん生に会えると春の黄泉(よみ)の道>。これもかねて用意の辞世の句。今ごろあの世で、古今亭志ん生の噺(はなし)を堪能しているだろうか。春の日に逝くことはかなわなかったが、その洒脱(しゃだつ)であたたかな芸風は春の日差しのようだった。
中日新聞 2012年12月11日

ひつぎにラジオの台本

小沢昭一さんの葬儀

10日に83歳で死去した俳優小沢昭一さんの葬儀・告別式が15日、東京都新宿区の千日谷会堂で営まれた。白い菊や赤いカトレアなどに囲まれた祭壇には、たばこを手にくつろいだ表情の3年前の写真が遺影として飾られた。ひつぎには、1万回以上続けたラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で次回放送予定だった台本、全国各地の芸能を録音したレコード、主演映画のポスターなどを納めた。
MSN産経フォト - 2012年12月15日

「あんたはすごい人」遺影の小沢昭一氏に語りかけ

「あんたは幕が上がるとD51が驀進(ばくしん)するようにカーッと熱くなった。軽く芝居しているように見えたが、ワナワナ震えてやっていた」
旧制麻布中学時代から70年を超える親交があった俳優、加藤武さん(83)が弔辞で、たばこ片手にほほ笑む小沢さんの遺影に語りかけた。
当意即妙の語り芸は、舞台に映画、ラジオ、テレビと、あらゆるジャンルで愛された。しかし、加藤さんは稽古熱心だった小沢さんの素顔を紹介。ライフワークだった放浪芸研究にも触れ、「文化史に残る偉業。あんたはすごい人だった」とたたえた。
戒名は「洽昭院澹然一哲居士(こうしょういんたんねんいってつこじ)」。豊富な見識をユーモアを持って伝えたという意味だ。約500人が参列した葬儀では、小沢さんの歌声で「東京ラプソディ」などが陽気に流れた。
棺には、次回収録予定だったラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の台本などが納められた。昭和48年から放送され続けた長寿番組だ。体調を崩した9月からは傑作選が放送されたが、小沢さん逝去で通夜の14日、1万414回で終了した。
「私もまだやりたいことがあって、これを済ませたらいく。待っていて頂戴の心だぁ」。加藤さんは、小沢さんの番組の決まり文句「〜の心だぁ」に倣って、弔辞を締めた。
雨の中の出棺では、小沢さんが歌う「ハーモニカブルース」が流れた。巧みな小沢さんのハーモニカ独奏に参列者の拍手が重なった。享年83。(飯塚友子)
MSN産経ニュース - 2012.12.15 17:06

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