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濃尾地震

根尾谷断層

根尾谷断層(ねおだにだんそう)は、岐阜県本巣市(旧根尾村)を中心とする活断層である。根尾村水鳥地区の断層崖は国指定の特別天然記念物に指定されている。
1891年(明治24年)10月28日午前6時38分50秒に根尾村を震央として発生した濃尾地震(マグニチュード8.0)の震源断層である。
この地震により数十kmに渡って地表地震断層が現れた。総延長距離約80km、活動一回あたりの最大左横ずれ変位量8m、最大上下変位量6mに及ぶ大規模な断層である。
この根尾谷断層以前に地震断層について記録されたものが無いため、日本で確認できる最古の地震断層として記録されている。Wikipedia 根尾谷断層

長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本写真メタデータ・データーベース

http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/univj/index.html

防災の誕生濃尾地震が契機

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濃尾地震で被害を受けた愛知県一宮町(現一宮市)の写真=長崎大付属図書館所蔵
それは当時、「身の終わり(美濃尾張)地震」といわれ、近代日本が初めて遭遇した大災害だった。一八九一(明治二十四)年十月二十八日、岐阜、愛知県を中心に日本最大級の活断層型地震・濃尾地震が発生。国は翌年、防災機関「震災予防調査会」を創設し、建物の耐震性や地震メカニズムの研究を始める。現代につながる「防災」という概念は、ここから始まった。
濃尾地震は、同じ活断層型の阪神大震災のマグニチュード(M)7・3を上回るM8・0。地震エネルギーは八倍以上にあたる。最大震度7を記録し、静岡県から大阪府までが強く揺れた。十四万戸の家屋が全壊、犠牲者は阪神の約六千四百人を上回る七千二百七十三人に達した。
二か月近くがすぎた十二月十七日、貴族院議員の菊池大麓(だいろく)が議会で声を上げた。「あれだけの地震があったのにあの時なぜ、地震について十分なる取り調べをしなかったのであるか」。菊池は地震の予知や耐震化研究の必要性を主張。「地震は大戦争よりも大患大災難である」とうたい、震災予防調査会の設置建議案を提出、貴族院で可決された。
調査会は翌年六月、東京駅や日本銀行を設計した辰野金吾、菊池ら三十七人を委員に始まる。調査会は後に東京大地震研究所となるが、現代ならば南海トラフ地震の想定を公表した内閣府中央防災会議といえる。
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岐阜気象台が当時作製した震災の被害地域の地図

調査会の事業では、現代に通じる十七の柱を立てた。「構造材料の強弱実験」は、耐震性向上のための建材研究に相当。「耐震家屋を地震多発地帯へ普及」は耐震化率の向上に通じ、「地震動の遮断試験」は免震研究だ。小学校や民家など木造建築物について、建物の土台や柱を鉄材で結び付け、筋交いを取り入れる対策も公表した。
濃尾地震は、マスコミが被害をいち早く報道し、全国から支援が集まった意味でも、近代日本で初めての体験だった。
当時は新聞が普及し始めた時期。中日新聞の前身「新愛知新聞」は十月三十一日号で「岐阜市の九分通りが焼失」と報道。東京の新聞からも特別派遣の記者が送り込まれた。
東京で富裕層の読者が多かった「時事新報」は、理髪料が五銭程度の時代に二万五千円以上の義援金を集めた。理容料を三千円と換算すれば、現在なら十五億円以上に相当する。

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上は長崎大付属図書館所蔵 濃尾大地震(根尾村水鳥谷の断層)(10)
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/univj/target.php?id=1647
下はWikipediaより転載

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3a/Trench_of_the_Neodani_Fault_at_Midori_%28northwestern_side%29.JPG/800px-Trench_of_the_Neodani_Fault_at_Midori_%28northwestern_side%29.JPG
Wikipediaより
濃尾地震を起こした根尾谷断層の様子が見られる「地震断層観察館」=岐阜県本巣市で

被災地には日赤や陸軍軍医学会、愛知医学校が医療支援に参加。国内外から個人や団体が入り、混乱しながらも民間支援を繰り広げた。
濃尾地震を研究している名古屋大大学院環境学研究科の山岡耕春教授は「地震への備えや被災者支援など、われわれがすべきことはすでに百二十年前に先人が示してくれている。どこまで成し遂げられたのか、今こそ自身を振り返りたい」と話している。
(中村禎一郎)
防災の誕生濃尾地震が契機
東海エリア地震情報(CHUNICHI Web) - 2012年12月3日

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