竹内洋岳
竹内さん8000メートル峰全制覇14座登頂、日本人初
登山家の竹内洋岳さん(41)が二十六日、ネパールにあるダウラギリ1峰(八、一六七メートル)に登頂し、日本人として初めて世界の八千メートル峰全十四座制覇に成功した。同日夜、東京の事務局に連絡が入った。世界七位の高峰の頂上に達したのは、現地時間午後五時半(日本時間同八時四十五分)ごろ。強風で視界のない天候だったとベースキャンプに無線連絡してきたという。
竹内さんは一九九五年のマカルー1峰(八、四六三メートル)を皮切りに、ヒマラヤとカラコルム山脈に集中する八千メートル峰に次々と登頂。二〇〇七年には雪崩に遭って背骨を折る瀕死(ひんし)の重傷を負ったが、困難を克服して昨秋のチョーオユー(八、二〇一メートル)まで十三座に登った。
十四座制覇は八六年にラインホルト・メスナー(イタリア)が初めて成し遂げ、これまでに女性を含む三十人近くが達成している。
◆精神力の強い人
女性で世界初のエベレスト登頂に成功した登山家田部井淳子さんの話本当に待っていました。日本人はなかなか達成できなかったが、それを突き破った。長い道のりだったと思う。大変な偉業だ。一緒に登山教室の講師をしていたが、穏やかな性格で、派手さはないが夢を追い続ける精神力の強い人だ。だから背骨の骨折という大けがも乗り越えてやり遂げることができたのだろう。彼に続いてどんどん挑戦し、日本人女性の達成にも期待したい。
竹内洋岳(たけうち・ひろたか)祖父の影響で幼いころから登山とスキーに親しみ、立正大山岳部で活動。95年にマカルー1峰に登り、翌年に世界最高峰のエベレストに登頂。4座目のナンガパルバット以降は全て無酸素で制覇した。07年にガッシャーブルム2峰で雪崩に遭い、背骨を折る重傷を負ったが奇跡的に復帰した。ICI石井スポーツ勤務。2児の父親。180センチ、65キロ。東京都出身、41歳。
東京新聞2012年5月27日 朝刊
日本人初8千m全制覇14座の竹内洋岳さん、ベースキャンプに戻る
26日にネパールのダウラギリ1峰(8167m)に登頂し、日本人として初めて世界に14座ある8千m峰全制覇を達成した登山家の竹内洋岳さん(41)が日本時間の28日未明、ベースキャンプ(約4600m)に戻った。東京の事務局に連絡があった。竹内さんは「本当に登りがいのあるいい山登りになりました。本当に多くの人のおかげで登頂することができました。ありがとうございました」と衛星携帯電話で伝えてきた。東京事務局は、登頂後に本人が撮影したダウラギリ1峰の写真を公表した。岩状の頂の様子が分かり、竹内さんの影が写っている。帰国は6月中旬の予定(撮影日時、場所は不明、14PROJECT事務局提供)
MSN産経フォト - 2012年05月28日
Wikipedia 竹内洋岳
昨日NHKスペシャル『ヒマラヤ8000m峰全山登頂に挑む』を見た。
竹内洋岳さんがすごいのは勿論だが写真撮影とパートナー・サポートの中島ケンロウさんとNHK撮影クルーがすごい。
中島ケンロウさんが迎えに来てくれる(もう救助だねあれ)って頼ってしまえるのも登山家なんだなあ。
アメリカのクレオ(女性登山家)*1とシェルパもすごいね。何なんだこいつらはw
ナショナルグラフィック Webナショジオ・インタビュー 竹内洋岳
地球上には、標高8850mのエベレストを筆頭に、標高8000mを超える山が全部で14ある。1986年にイタリアの登山家であるラインホルト・メスナーが14座すべてを登頂して以来、多くの登山家が14座登頂を目指してきた。日本人初の14座完登者となったのが、プロ登山家の竹内洋岳さん。さまざまな困難を乗り越えて成し遂げた偉業を振り返りつつ、山にかける思いを聞いた。(インタビュー・文=西野淑子/写真=田中良知)
【備忘録】
言葉について
高須茂著「登山談義」 東京中日新聞出版局1963高須茂著「登山談義」より
http://www.geocities.jp/kakumotoaki/old/tozandangi.htm
山岳連盟の会合などの席で登攀を“トハン”と読まれてギョッとしたことが何度かあります。前穂北尾根四峰を指して”ヨンポウ”、屏風の頭を指して”ビョウブノカシラ”と呼んでいるのはご愛嬌という感じですが、“トハン”は勘弁してもらえませんでしょうか。
このページを何度読んでも「とはん」と読んでしまう自分がいる。
もう三度目だぞ・・・もう直らないかもしれない。
「登頂」は「とうちょう」としか読めないのに。
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*1:酸素使用