人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

米ロックフェラー財団の会長レイモンド・フォスディック

ロックフェラー財団会長原爆投下直後、悔悟の手紙

広島と長崎に原爆が落とされて間もない1945(昭和20)年8月末、世界で最も影響力のある慈善事業団体とされる米ロックフェラー財団の会長で、国際連盟創設期に事務次長を務めたレイモンド・フォスディックが送った原爆投下を批判する手紙が見つかった。米国内で投下を正当化する論調が圧倒的な中、米国が無差別大量殺りく兵器を使ったことを厳しく批判し、苦しい胸の内を吐露する異例の内容となっている。
手紙は財団の自然科学部長だったウォーレン・ウィーバー宛てで、ウィーバーの文書を調べていた拓殖大の日野川静枝教授が今夏、米ニューヨークの同財団資料館で見つけた。
フォスディックは、四五年八月十四日付のウィーバーの手紙に同月二十九日付で返信。ウィーバーが「原爆投下を道徳的に批判するのは愚かで、無駄なことだ。二つの爆弾が落とされ、戦争に勝ったことで、多数の米国人の命を救い、たぶん日本人の命も救った」と記したことに戸惑いながら、反論した。
米国は戦時中、ドイツが原爆開発を進めているとの情報を受け、対抗上、原爆開発を急いだ。フォスディックは、事情を認めた上で、(1)米国が開発に成功した時、ドイツは降伏していた(2)米国は日本が原爆を持っていないと知っていた−と指摘。米国には原爆を投下する必要はなく、「無差別の殺りくに『認証済み』のシールを貼った」「戦争に勝利するための未来のあらゆる兵器にお墨付きを与えた」と厳しく批判した。
さらに、将来の核戦争を予測。米国人が同様の爆撃の被害者となる可能性に言及。「私たちの手は、きれいではない」「私は良心の呵責(かしゃく)に苦しんでいる」と煩悶(はんもん)していた。
フォスディックはその後、同年の財団の年報で「原爆」の項を設け、財団が原爆開発を主導したロバート・オッペンハイマーら核物理学の研究者に研究資金を援助していたことを明かした。一方で、援助当時は原爆につながるとは知らなかったと弁明した。
さらに、科学は人類の幸福に役立つが戦争にも使われると指摘。「戦時中は、科学は破壊的な結末にねじ曲げられる」として、一刻も早く戦争を止めねばならないと訴えた。
文書を見つけた日野川教授は「原爆投下について、このように率直な心情を吐露した手紙は初めて見た。一人の人間としての気持ちが表れており、救われるような気がする。こうした人がいたことを多くの人に知ってほしい」と話している。
<レイモンド・フォスディック>1883年、米ニューヨーク州バファロー生まれ。1910年にニューヨーク市出納局長に任命され、汚職の一掃に努めた。第1次世界大戦終結時のパリ講和会議で米陸軍省の特別代表。国際連盟創設期に事務次長となる。36年、石油王のジョン・ロックフェラーが創設した世界有数の非政府組織(NGOロックフェラー財団の会長に選ばれ、48年まで在職。72年に89歳で死去。

■核戦争指摘は慧眼
油井大三郎・東京女子大教授(アメリカ現代史)の話私信ではあるが、ロックフェラー財団のトップが原爆投下に批判的な意見を持っていたことは興味深い。投下から時期的にも早く、ソ連が核兵器を開発するかどうか分からない段階で、核戦争の恐れを指摘しているのは慧眼(けいがん)だ。フォスディックは国際連盟の設立期に事務次長だった人物。法律家なので国際法の知識があり、民間人の無差別虐殺が戦時国際法違反と知っていたのだろう。
東京新聞 2011年12月25日 07時17分

昼食で家に帰って中日新聞見たらこれ一面トップだった。
私信とは言え勇気のある人だね。私がその立場だったらそう思っても黙っている。損得ではなく神の前に行った時に顔が上げられるように自分の信ずることを言っただけか。

反戦を主張した新聞社が御用新聞と呼ばれた

「御用新聞」というと体制側にべったりという軽侮した響きがあるが、日露戦争の当時、反戦を主張した新聞社が御用新聞と呼ばれた、と司馬遼太郎さんが書いている
時の政府や伊藤博文ら元老は絶対的な国力の差を考え、ロシアとの戦争は避けたかった。政府の主張に沿い「自重すべし」と書いた社は御用新聞と非難され、政府を批判する好戦的な社が「戦うべし」と世論をあおり立てたという
司馬さんの小説『坂の上の雲』を初めて映像化したNHKのドラマが最終回を迎える。ロシア艦隊を迎え撃つ日本海海戦のヤマ場が放映されるが、薄氷を踏む日露戦争での日本の勝利は、革命勢力が力を増しつつあったロシアの国内事情に助けられた面も大きい
戦争の生活苦から高まった民衆の不満は十二年後のロシア革命につながる。世界初の共産主義国家、後のソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の誕生である
民族も宗教も異なる十五の共和国をまとめ、米国と世界を二分した超大国は七十四年間しか存在しなかった。スターリンという独裁者が国民を弾圧する暗黒時代も長かった
歴史的なソ連の崩壊からきょうで二十年。貧富の格差が広がり、政府の腐敗がソ連時代と同じロシアのような国もあれば、欧州連合に加盟した国もある。二十年で結果を求めるのは酷なのだろうか。民主政治の根づきにはまだ遠い。
中日春秋 2011年12月25日

同じ事でこの時は反戦を言おうものなら国賊扱いだったのだろうなあ。
全権大使小村寿太郎を描いたテレビドラマ昔見た。確か石坂浩二がその役をしていた。ポーツマスでの日露講和会議での駆け引きが主題で面白かったと記憶している。*1
坂の上の雲』は2回は通して読んでいる。親父が液剤会病院に入院*2した時に付き添い*3していた時に司馬遼太郎の本は読み返していた。
やはりテレビドラマでの坂の上の雲はあんまり・・・

*1:ググったら吉村昭の『ポーツマスの旗』という小説のTVドラマ化なんだそうだ

*2:このまま還らなかったけど

*3:と言っても何かやる訳ではない。毎日紙おむつの補給と着替えを持って行き、髭を剃ってやるだけ。持ち帰った寝間着も私が洗濯していたな、偉いもんだw。死ぬまでの3ヶ月間、親父はどうだったんだろうとふと思う