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「挙母号」の復元図が完成 75年前の町有飛行機


復元図を手にする丹羽さん(右)と山田さん=豊田市挙母町で

 豊田市がまだ挙母(ころも)町だった昭和初期、遊覧飛行などに活躍した町有飛行機「挙母号」。そのカラー復元図を、大の航空ファンで精密な飛行機図を描くのが趣味の丹羽八十(やそ)さん(65)=豊田市保見ケ丘=と、挙母号を操縦した元パイロットの山田金正さん(90)=同市挙母町=が完成させた。2人の夢は、図を基に実物大の模型をつくることだ。
 挙母号は1936(昭和11)年、当時の中村寿一町長の発案で住民から寄付を募って購入。市郷土資料館に保管されている寄付名簿によると、町の名士や芸者などさまざまな人から当時としては高額な1700円が集まった。
 丹羽さんは表紙に挙母号が描かれた当時の町勢要覧を市内の展示会で目にした。機体の登録記号を自宅の資料で調べ、英国製の軍用機と分かった。しかし、要覧の絵は細部を省略したイラスト調。「町有飛行機の本当の姿を多くの人に知ってもらいたい」と復元図作製を思い立った。
 当時を知る人を探したところ、山田さんが健在なことを市職員の紹介で知った。面会して機体の色や写真には写っていない細かな構造など操縦経験者ならではの詳しい情報を聞き出し、図を仕上げた。
 丹羽さんは「山田さんが健在なうちに実物大の模型を見せてあげたい」、山田さんは「挙母号の寄付名簿に載る人の子孫に、今度は模型のために寄付してもらえれば素晴らしい」と笑顔で話す。復元図は9〜11日に市民文化会館で開かれる高齢者作品展の「趣味部門」で展示される。(川原田喜子)
中日新聞 CHUNICHI Web2011年12月9日

この記事を転載したのは豊田市挙母町だった頃飛行場があり、町(市)が他の町に対し優越的存在になろうとしたのか、モダンでハイカラで先進的なステータスが欲しかったのか遊覧飛行機をやろうとする発想が何ともおかしいので気に止まった。この頃はそういうものだったのかもしれない。
この時の飛行場はどこにあったのか知らないが、今はもう無い飛行場繋がりで中日新聞の特集、草薙隊哀史に『1945(昭和20)年春、愛知県豊田市にあった名古屋海軍航空隊にも「草薙(くさなぎ)隊」が編成され、沖縄に上陸した米軍の艦艇に突入していった。』とあり、その飛行場は『伊保原飛行場(豊田市浄水町)』*1にも引っかかった。
場所:伊保原飛行場 GoogleMaps
その他にも当時wikipedia:大府飛行場というのがあった。

*1:愛知時計電機の試験飛行場として昭和十四年に造成された。滑走路は豊田浄水場正門前付近から西へ浄水町伊保原北交差点までの、片側ニ車線の直線道路(約一 ・四キロ)と思われる。昭和十七年伊保原飛行場に名古屋海軍航空隊が併設され、終戦の年春には熱田神宮の草薙之剣に因んで草薙隊の特攻隊が産まれた。浄水町原口交差点を北に入ったところの少年院(元海軍航空隊敷地)の脇に、碑が建っている。引用:http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/atsuta4.htm