人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

太田胃散

太田胃散の一番大きな缶を自宅と事務所に置いてありしょっちゅう飲んでいる。
対処療法だろうけど胸焼けに直ぐ効くんだこれが。何か危険な薬物でも入っているんじゃないかと疑ってしまう。他人に言えばそりゃ医者に見てもらった方がと当たり前に言われる。以前、テレビで見た映画で政界の大物だったかが「癌なのに胃薬飲んでいたよ」と言う台詞がありその意味が分かる気がした。映画『釣りバカ日記』で谷啓が飲んでいた胃薬も太田胃散らしく見えていた。
何が言いたいかというと別に何も・・・ただ、太田胃散が美味いと感じる。水が無くても飲めてしまう。そう言えば太田胃散ができて何年記念とかの缶があった。未だある筈だから写真に撮っておこう。


2011/11/29画像貼り付け

太田胃散が美味いと感じるのはおかしいかな。本能的に猫がよくやる異物食も同じ様なものか*1。子供の頃近所の医院で貰った風邪薬*2も美味しかった。
そう言えば子供の頃から薬は苦手と感じたことは無かったな。注射が厭でそれからの逃避だったかもしれないが小さい頃から注射で泣いたことはない。私の子供たちも一度も泣いたことはない。まさかこんな事象が遺伝する訳はないので、注射とは何であるか、注射を射つ先生とそれをさせる親に気を使って、いや違うな・・・そんな事で泣くのは恥ずかしいと思っただけかな。
また、幼稚園時代の出来事を思い出した。集団予防接種で泣いた子がいた。その子とはよく一緒に帰っていてその途中で「今日泣かながったことにしてよ」と頼んでくる。子供の頃でも何故そんなことを気にするのかと思ったが「いいよ」と返事したことを覚えている。
*3明るい子で元々名古屋生れではなかったような。ある時グリコのアーモンドチョコレートを一粒貰った。生まれて初めて食べた。多分値段が高かっただろう。町内にあった八百屋*4では売っていなかったような。
小学五・六年の時だったかに同じ町内に引っ越してきた子がいた。多分東京からだろう。勉強のよくできた子で東大に行くと言い切っていた。多分行けたのではないかな。何故か私を友達にしようと同意を求めたりしたが他の者には少し敵意を持って知識を元に言葉でやり込めたりしていた。いじめられてはいなかった。沢山の焼きニンニクを持たせてくれたことがあった。いつの間にか何処かに引っ越して行ったようだ。何だったんだろう。苗字は覚えている。
思い出したことを徒然になるままに。

*1:昔『異物食』と何かで読んだが検索しても出てこない

*2:多分そこの医院で処方された薬瓶に入った水薬

*3:注射で思い出したが、その頃注射針も使い捨てではなく小学校での集団予防接種では回し打ちが当たり前だった

*4:野菜は勿論パン、魚、鯨のベーコン、肉、赤ソーセージ、調味料、ちり紙、ノート等を売っていた雑貨屋