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「100万人避難」即決断 名古屋市「東海豪雨」の教訓 

 河川の増水が激しかった名古屋市では20日から21日にかけて、市人口の約半数にあたる100万人超に及ぶ住民に、異例の避難指示・勧告を出した。決断の背景には平成12年に死傷者51人を出し、対策が後手に回った「東海豪雨」の教訓があった。市は被害を最小限に食い止めた「早めの対応」を肯定的にとらえる。一方で、実際の避難者は5千人弱にとどまっており、広報体制や避難先の確保などで課題も残った。
 名古屋市が最初に避難勧告を出したのは20日午前11時20分。市内を流れる天白川が警戒水域に達したため、流域住民ら約20万人を対象とした。さらに同55分には庄内川でも氾(はん)濫(らん)の兆候がみられたため、勧告対象地域を一気に拡大。午後3時にはさらに約7万9千人に避難を指示。20日夜には避難勧告・指示を合わせると、対象者は108万人超に上った。
 名古屋市の人口は約227万人。わずか約4時間の間に半数近くの住民らに避難を促した形だ。
 市災害対策本部の担当者は「これだけ多くの住民に避難を呼びかけたのは記憶にない。極めて異例の対応だったが『東海豪雨』の経験があったので、ためらいはなかった」と話す。
 東海豪雨は12年9月11日深夜に発生。今回と同様、市内の庄内川などが氾濫した。市は段階的に約37万人に避難勧告を出した。しかし、時間を要したことや、より強い情報である避難指示を出さなかったことから、51人の死傷者を出し、浸水被害も拡大した経緯がある。その反省から河川事務所が氾濫警戒情報を出した際、速やかに避難勧告を出す方針を決めたことが、今回の判断につながった。
 一方で、新たな課題も浮き彫りとなった。
 市によると、避難を呼びかけた約100万人超のうち、実際に屋外に避難し、市が把握できたのは4565人。防災無線や地区の災害対策委員を通じて広報活動を行ったが、周知が徹底しなかった可能性がある。
 また、主な避難場所は市が指定している小中高校の体育館などだったが、仮に勧告を受けた全員が避難した場合、受け入れ場所の確保は難しいという。
 対策本部では「避難の広報に百パーセントはない。仮に避難所があふれる場合は民間企業に依頼したりする必要がある」と課題があることを認める。
 京都大学防災研究所巨大災害研究センターの牧紀男准教授(防災計画)は「避難所に行くことばかりが避難ではない。避難所に向かうために外に出た人が、かえって流されてしまった例もある。それぞれ適切に身を守れていたのかは、今後の検証が必要」と話している。
産経ニュース2011.9.21 23:57