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「隠された」地震:昭和東南海地震と三河地震の詳細記録

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昭和東南海地震と三河地震の被災状況が記録された帝国議会衆議院秘密会議事速記録集のコピー=山下貴史撮影

 太平洋戦争末期に近畿・中部地方に大きな被害をもたらした昭和東南海地震(1944年12月7日)と三河地震(45年1月13日)の詳細な被災状況が、「帝国議会衆議院秘密会議事速記録集」に記載されていることが分かった。二つの地震は、報道管制によって「現存する資料がほとんどない隠された地震」とされており、速記録集を入手した兵庫県立大学の木村玲欧准教授(防災教育学)は「被害の全体像を把握できる唯一の資料ではないか」と評価している。
 45年2月9日に開かれた決算委員会秘密会で、木村准教授は政府関係者から速記録集を入手した。
 それによると、政務次官に次ぐ内務参与官が2地震の被害状況を報告。東南海地震の規模を「関東大震災より大きい」とし、静岡、愛知、三重、和歌山など2府14県で死者977人、負傷者1917人があったと明かした。橋梁(きょうりょう)172カ所、道路773カ所、堤防351カ所の損壊に加え、工場全壊1731棟、同半壊1281棟、流失81棟があったと報告。「重要軍需工場の被害が非常に多い」と懸念を示した。
 三河地震については死者2652人と報告。未明の発生で「人的被害が非常に大きかった」とした。
 報道管制のため、当時の大手新聞は昭和東南海地震を最終面などで小さく報じただけで、12月8日の太平洋戦争開戦記念日の記事を大々的に掲載した。被害を小さく見せて国民の戦意喪失を回避し、敵国への情報漏えいを防ぐ狙いがあったとみられる。
 木村准教授は「被害実態が公表されず、各県は適切な対応ができなかったのではないか。関東大震災と違って各地からの義援金も全く集まらず、結果的に被害の拡大を招いたと思う」と指摘している。
 2地震の被害について、これまでの研究では各地に残された記録などを集計し、東南海地震(マグニチュード7.9)の死者・行方不明者は計1223人、三河地震(同6.8)は死者2306人とされている。【山下貴史
毎日jp 2011年8月13日 15時0分