人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

「日本沈没」SF作家・小松左京さん死去 80歳

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第65回世界SF大会にゲストとして出席した小松左京=平成19年、横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)横浜

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小松左京さん

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インタビューに答えるSF作家の小松左京さん =2008年3月14日午後、大阪府豊中市
写真の引用先 産経ニュース2011.7.28 15:59

 「日本アパッチ族」「日本沈没」などの作品で知られ、文明評論家としても評価されたSF作家の小松左京(こまつ・さきょう、本名・実=みのる)さんが26日午後4時36分、肺炎のため死去した。80歳だった。大阪市出身。告別式は親族で済ませた。
 京都大学文学部イタリア文学科在学中から作家の高橋和巳らと交流し、文学活動に参加。卒業後は業界紙記者、土木工事の現場監督、漫才の台本作家などさまざまな職業を経験した。昭和36年に『地には平和を』で「SFマガジン」の第1回コンテストで努力賞。SF作家としてデビューした。
 空襲で焼け野原となった大阪城周辺の廃虚を舞台に、鉄を食料にする一族を描いた「日本アパッチ族」(昭和39年)のほか、「復活の日」(同)「果しなき流れの果に」(41年)など、人類と現代文明の未来を探る構想豊かな作品を次々と発表。日本でのSF小説を開拓する草分け的存在となった。
 地殻変動で日本列島が水没し、日本民族は国土を失うという設定の「日本沈没」(48年)は広範な知識に裏づけられた巧みな空想力が話題を呼び、400万部の大ベストセラーに。日本推理作家協会賞を受賞したのをはじめ映画、テレビ・ラジオドラマ、劇画にもなった。また60年には「首都消失」で日本SF大賞を受賞した。
 文明評論家としても知られ、45年には国際SFシンポジウムを主宰。平成2年、大阪市で開催された「国際花と緑の博覧会」の総合プロデューサーをつとめたほか、昭和59年公開の映画「さよならジュピター」では脚本・製作・総監督をこなすなど多彩な行動力が持ち味だった。
産経ニュース2011.7.28 15:59

本が好きになったキッカケがSF小説で小松左京星新一筒井康隆の御三家から始まり、かんべむさし阿刀田高、その他の作者の本を多く読んだ。そこから動物行動学を少し、歴史(司馬遼太郎だけw)、宇宙(天文)に興味を持ち関連する本を読むようになった。小松左京先生は読書に開眼させてくれた恩人の一人だろうね。本を読んでいる割には文章が下手って・・・うるさいわ。
Download
(15分間位の番組だったような。ファイルが大きので冒頭の部分だけ)
20年位前だっただろうか大阪発のラジオ番組 かんべむさし 木平真理子 小松左京 ゲスト筒井康隆をカセットテープに録音したものを音が劣化するしカセットプレーヤーも無くなるだろうからと数年前にデジタルファイルにしたものがパソコンに入っていた。
その他にもゲストに「落語家つるこう」だった回のものがあった。この他に『タモリ外国語講座』なるものもあった。
まだカセットテープのままだけどラジオ番組「気まぐれ飛行船」「タモリオールナイトニッポン」「ビートたけしオールナイトニッポン」等がある。「ビートたけしオールナイトニッポン」はそのまんま東(現:東国原英夫)やガダルカナル・タカがレギュラーで出ていた。これも面倒だけどデジタルファイルにしなくては・・・でも誰も聞かないか。

松本零士さん「偉大な先駆者失い寂しい」

 漫画家、松本零士さんの話 「私が中学生のころ、当時京都大の学生だった小松さんがモリ・ミノル名義で描いた漫画を読んだのが、作品に触れた最初だった。その漫画は今でも大切に持っている。小説と融合したような、科学の専門誌的な漫画だった。絵も非常にお上手で、小説の道に進むか漫画家になるかでずいぶん悩まれたようだ。
 多才な方で、われわれにとっては偶像的な存在。漫画家でいえば手塚治虫馬場のぼるに匹敵する、戦後第一期の科学小説を書かれた先駆者であり、偉大な作家だった。私も小松さんの作品はほとんど読んできた。
 20歳のころ初めてお会いしたが、貫禄があって、人を傷つけることなく若者を励ます明るい人柄だった。数年前から体調が悪いとうかがってはいたが、亡くなられたとは…。びっくりした。お書きになりたいことはまだまだあったはずだ。誠に残念。われわれに夢を与えてくれた偉大な先駆者を失い、こんな寂しいことはない。涙が出てきそうだ。大変感謝しております。安らかにお休みください」
産経ニュース2011.7.28 16:59

松本零士さんは漫画等のコレクターでもありこの漫画を持っているというのは対談かラジオでの会話だったかで聞いて覚えている。冗談だろうけど、小松左京先生がこの漫画の公表をやたらに怖がっていた。

小松左京さん死去:松本零士さんインタビュー 全文掲載

銀河鉄道999や宇宙海賊キャプテン ハーロックなどで知られるSFマンガの大御所、松本零士さんは小松左京さんと古くから親交があり、訃報に接し「きょうほど悲しい日はなく、無限大の寂しさを感じます」と語りました。

松本零士さんのインタビュー、全文を掲載します。

松本零士さん:まず驚いたのと、何しろ、我々の少年期青年期を励ましてくれた戦後の偉大な創作者ですからやっぱりショックでしたね。やっぱり無限大の寂しさを感じます。お亡くなりになったと・・。
私は、小学校から中学校の時に通学路で買った小松さんの最初の印刷物は漫画の本なんですね。「大地底海」。日本本沈没の原型みたいな話ですね。そういった本はそのまま持っていますね。ですから私らの青春というか、少年期から青年期への駆動力のエネルギーをくださった方なんです。ですから寂しいです。本当に心の底から寂しい。

Q松本さんが創作活動する中ではどういった存在だったのですか?

松本零士さん:やっぱり少年の時、小学生、中学生、高校生だった頃にエネルギーを注入してくれた方なんですね。これからの新しいジャンル、戦後の新しい時代を確立されていった偉大な創作者ですから、そういう刺激が自分も駆り立てるんです。駆動力のなんていうか、支えをしてくださった偉大な先駆者です。

Q松本さんご自身の創作にあたってやりとりすることもあったんですか?

松本零士さん:比較的若いうちにお知り合いになれましたから、それでいろいろな話・・(小松さんが)漫画家になるべきか小説家になるべきかで悩まれたこと。その漫画の本も小説も、京大の文学部ですよね確か、通われている時に、学校の行き帰りに鴨川の河原で石の上に座って書いていたという、そういう秘話まで、全部ご本人から直接お聞きしていますからね。それは文章で読んだりではなく、ご本人の口から聞いている。そしてどちらになるべきか、すごく悩まれたみたいですね。そして文章の方の、要するに科学小説の大家になられたわけですけど、ですから戦後の新しいジャンルの一つを新しい形で確立された、偉大な先駆者です。
漫画とはいえ、といったら変ですけど、後の日本沈没やそういうもののすべての原型がすでにその物語(「大地底海」)の中にあるんです。文章がまた見事で、漫画の本なのに、1ページすべてが活字という、小さいカットがあるだけでね。それは我々にも刺激になりましたよ。だから表現方法としても新しい表現方法、だから偉大な戦後の先駆者の数少ないお一人ですね。

Q小松さんはどんな作家だったと思われますか?

松本零士さん:そうですね。未来ということを常に念頭において、それからこの宇宙とは何か、天文学的な要素と地勢学的要素・・、なんていうんだろう自然学的な部分と、物理あるいは工学的な意味とを兼ね備えて、存分に興味を示されて、ただ一つ、目的ははっきりしていて、未来というのは、この世界というのは一体なんだというのを徹底的に追求された方ですね。
それは少年にもわかるんですよ。子どもにも。だからこっちにも刺激になるわけですよね。ですからそういう意味で、新しいタイプの新しいジャンルを確立された偉大な、我々から見ると、7歳、年が違うんですけどね、先駆者、先輩になるわけですよね。だから敬意をはらってやみませんし、「模型の時代」という作品は、これは小松さんの原作でこれ一本だけですけど、漫画にしていますので、そしてなんと、主人公を左京ちゃんにしてしまいましてね。主人公の名前をですね。それで盛大に意訳して書かせて頂きました。楽しかったです。そういうことも。

Qその作品については小松先生はなんと?

松本零士さん:もうにこにこ笑って、面白かったよーというんで、そういう点では、一切、後輩の仕事には無用の口出しはなさらない。励ましてくださる先生だったですね。だから先輩としてはそういう意味では心温かい、明るい小説家、作家だったですね。明るいんですよ、すべてが。会話をしていても明るい、一緒にお酒を飲んでいても、カラオケを歌っていても常に明るいんですよ。暗さのみじんもない方でしたね。ですから自分が体の調子が悪いとかそういうことはご本人からは一切聞いておりません。一言も聞いておりません。
もう朗らかなもので、また今度あったら一杯飲もうと、そういうお話なんです。元気で仕事がんばれよーって言って。だからそちらもがんばってくださいよーって、お互いに励ましあうような。本当になんていうんでしょう。明るくてね、なんていうんでしょう、同じ創作者という立場だったら、人を励ますタイプの人なんです。相手をですね。そういう明るくて心優しい方です。そして力強いんです、おっしゃることが。聞いている方が元気になるようなことを次々に言われて。だから私の印象でも、永遠の眠りにつかれたんですけど、お言葉や記憶では、ものすごく明るく力強い方だった、そのイメージが強烈ですね。
だから眠りにつかれたということがまだ信じられないような、そういう気分ですね。

Q最近連絡を取られたのはいつ頃ですか?

松本零士さん:2年くらい前が最後かな。飛び飛びになってしまいまして、なかなか連絡が取りにくくなったんですけどね。

Qその時、新たな創作の話とか?

松本零士さん:こういう話を書きたいと思っているんだとか書きたいとか、そういう話は両方で一生懸命しましたね。お互いがおおほらを吹いているようなところはありましたけど、その中に、こういうものという時には、論理的に中核をなす部分は正確に話してくださるんです。そういうやりとりもずいぶんやりました。楽しい出会いでしたね。

Q最近はどんなお話しを?

松本零士さん:私が3Dアニメーションのようなことをやりたいというようなことをいうと、当然未来はそうなると、だから自分は今度はそういう世界がどんな世界なのかを書きたいんだ、というようなこともおっしゃっていました。でもこれもだいぶ前ですよ、もう。10数年前からそういうこと言われていたんです。ですから、時代の変遷、歴史、歴史観ですね。そういうところが過敏なくらい敏感な人でしたね。だからそれを創作に生かされた、偉大な作家です。戦後の第一期の空想科学小説、サイエンスフィクションの文章での創作家としての先陣を切った、偉大な先輩です。

Q日本の今の状況、自然災害、原発事故、いろんなことが起きているこの中で、もし小松さんがご健在だったら?

松本零士さん:もっと書かれたろうなと思いますね。大地底海にしろ日本沈没にしろ、今のいろんな自然災害の原型はすでにそのプレートの移動とか地層の重なり合いとか、そういうことはそのときに書かれている。終戦後、昭和20年代に書かれているんですよ、その起こるべきことを。だからある意味での偉大な予言者ですよね。だからその通りになってきている。

Qその日本が立ち上がるということは?

松本零士さん:立ち上がるその方法とか手段とか、そういうものも、お元気であれば書かれたと思うんですよね。そういうようなことは、頭の中には存分にお持ちでしたから。そういう話も一杯しました。特にプレート構造とか、大地底海、日本沈没、すべて地層や地殻やプレートに関することでしょ。しかも、インド洋からアフリカを通って大地底海がある、というようなことも書かれていましたしね。でも私が一番衝撃を受けたのは、1ページ全部活字で、漫画はカットが隅の方に主人公がシルエットのように書いてありました。その1ページが小説になるわけですよね。それが正確に書かれているんです。それが私自身の学習にもなったんです。文章能力というのもいかに大事かと、説得力のある文章能力、だからそういうことでないがしろにできないという思いも、こっちにも火がついたんです。だから感謝しております。

Q小松さんにどんなお言葉をかけたいですか?

松本零士さん:もう一度生まれ変わってもう一度お会いしたいですと。今度は願わくば、もっと近くに生まれて一緒にやりたいですと。そういうお話ができれば。わはは、と言って笑われるかもしれませんけどね、そんな思いがありますね。本当にね、心の温かい、包容力の大きい方でした。

Q今の日本の社会で、一緒にできるならこんなことを創作したいという思いはありますか?

松本零士さん:そうですね。要するに、近未来の自然環境から科学技術的な発展も含めて、この宇宙と地球、自然環境の相関関係といったものを、ずっと一緒にやりたい、という思いがあるわけです。
だから本当に残念です。今日ほど寂しい思いをした日はないですね。戦後の創作家としてのそのジャンルでの創作家としての基礎を築いた偉大な方です。ですから本当にご冥福をお祈りしています。その一言に尽きますね。残念です。もうちょっと頑張って、ともに仕事をする機会があればもっと面白かったのになと思います。
本当に心からお悔やみ申し上げます。
NHK「かぶん」ブログ 2011年07月28日(木)