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地震前の水濁なし…伝承過信、江戸期の碑が戒め 南海地震

 紀伊半島沖を震源に発生が予想される南海地震をめぐり、和歌山県湯浅(ゆあさ)町の深専寺(じんせんじ)山門前に建つ、安政(あんせい)南海地震(1854年)の教訓を記した「大地震津なみ心え之(の)記」碑の内容を再評価する動きが広がっている。碑文には被害状況や避難場所を記すだけでなく、言い伝えを鵜呑(うの)みすることを戒める文言などが528文字で刻まれている。町では先人の教えに応えるため31日に過去最大規模の津波避難訓練を実施する。
 南海地震は、100〜150年周期で、東海、東南海地震と3連動で起きることがある。湯浅町は、東日本大震災で甚大な津波被害を受けた三陸地域と同様に、市街地はV字形の入り江の根元に広がる。
 石碑は高さ2.65メートル、幅62センチ。安政南海地震の2年後に地元のしょうゆ商人の寄付で建立。安政南海地震の前日には安政東海地震が発生しており、碑文ではその地震にも触れている。文面から当時の様子を再現すると…。
 《11月4日、晴天だったが、午前10時ごろ大きな地震が起きた。瓦が落ち柱がねじれる家も多く、河口には波のうねりが押し寄せたが、大きな被害はなかった。しかし5日午後4時ごろ、前日より強い地震が発生。海鳴りが何度も聞こえ、海面が山のように隆起した。高波が打ち寄せ、大木や岩などを巻き上げ家や船などを打ち砕いた。海辺や川沿いに避難し、おぼれて亡くなる人もいた》
 碑文をしたためた住職のひとり、恵空一菴(けいくう・いちあん)は「高波が押し寄せる勢いは『恐ろしい』などという言葉では表せない」と記す。町史によると、この地震で家屋やしょうゆ蔵など計440軒が流されて損壊し、28人が死亡したと伝えている。
 また、碑文には「井戸水が減ったり濁ったりすると津波の前兆というが、今回はそんなことはなかった」と過去の言い伝えの過信を戒めたうえ、「地震が起これば津波が来ると考え、この寺の前を通って天神山へ逃げろ」と警鐘を鳴らす。
 石碑が建てられたのは3連動だった宝永(ほうえい)大地震(1707年)の記憶が風化していたためでもあった。東日本大震災以降、石碑の前で立ち止まる人も増えているといい、松下瑞應(ずいおう)住職(71)は「先人の気持ちを無駄にしてはならない。この碑文を地元住民だけでなく、県内外の人にも知ってほしい」と話す。
 一方、震災以降、町には住民から「どこへ逃げればいいのか」などと問い合わせが急増。津波被害が想定される3地域で、年に1地域ずつ実施していた避難訓練を、3地域一斉の実施に改め、31日に行う。住民に加え、地元の保健師や医師会なども協力し、救護や給水の訓練などを初めて取り入れるなど、昨年の6倍の参加者になる見込みという。

産経ニュース2011.7.27 14:20