人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

港区の町名の由来について

入場町(いりばちょう)
荒子川の柳瀬橋の付近に杁(いり)があったので「杁場」といっていたが、現在では「入」の字を当てている。
港区の町名の由来について

GoogleMaps:荒子川の柳瀬橋

この『杁』を子供の頃見た。これを杁と言うのかは知らなかった。通称『運河』と言っていたせき止められた池がありそこから何故か二十番用水と言っていた農業用水を潜らせ田んぼまで直径15センチ位の鉄管が引いてあった。私が子供の頃はもう既に二十番用水は汚くなっていて時々油の膜が虹色に光って流れて来ていた。だからなのかこの用水から水を取らず『運河』の方から取っていたのかもしれない。そう言えばもっと小さな時の記憶に、収穫した野菜をこの二十番用水で洗ってその野菜を日比野の問屋(祖母も母も『とうや』と発音していた)に自転車にリアカーを付けて持って行っていた。もっと昔は火垂るがいっぱい居たそうだ。そう言えば六番町辺りの中小企業の便所から人糞を取り持って帰り肥溜めに入れ醗酵させ『肥え』にしていたこともかすかに記憶にある。後で聞いたんだが肥樽一樽幾らかのお金を貰っていたそうだ。

スクーター工場

もう一つ関係のないことだけどまた思い出した。
中野新町から昭和橋に向かう国道一号線沿い南側に(今のマツダから榮太郎辺り)にスクーター工場があった。メーカー名は記憶に無い。何故か独立した単独ブランドだと思っている。昭和29年に大不況が来てそれで倒産したと聞いた記憶にあるが、私は昭和29年生れで操業中のこのスクーター工場を板塀越しに見ている。どういうこっちゃ。何かの記憶が混ざっているのかもしれない。その他に国鉄熱田駅のうっすらとした記憶や叔父さんに連れられ乗った一色大橋から乗った市電のこと、親父に御嶽山に連れられて行った国鉄中央本線の蒸気機関車の事などが記憶にある。このことはまた別の時に書くかもしれない。