人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

アンコール・ワット


wikipedia:アンコール・ワットより
昨日のブログで書きたかったことはアンコール・ワットの修復のこと。
途中で話が逸れてしまった
アンコール・ワットの修復は多くの国が協力しているとのことで、中でも中国がその修復速度が速く日本は遅々として進まないのだそうだ。中国は早く完了すること価値を置き、日本は完璧なまでの完成度に価値を見出すのだとか。
中国の修復した箇所には石の真新しい彫刻が作ってあり、年数による劣化、風化が無い新品が元の彫刻に沿わせて継いである。日本の修復箇所は一旦彫刻を作りそれを元からある彫刻の風化に合わせ面を取りそれらしく合わせてある。国民性というものだろうか。流石日本人やるなあと思ったものだった。でもちょっと考えてみると私はどちらも好きだ。新品だって数十年、数百年経てば落ち着いた物になり本物の風格が出てくる。だったら手数のかからない中国方式で私は納得するのかもしれない。
比喩がおかしいかもしれないが、建設当時反対されたエッフェル塔だって今じゃ風景としてのパリに凱旋門と並んで無くてなならない物になっている。
昔の日本の京都人は新しい物好きで統一性に欠ける新しいデザインの橋を次々と架けていったと何かで読んだことがある。
モナリザには眉毛があったと言うし、最後の晩餐は何度も修復され描かれた当時とは大分違っていたと言う。

wikipedia:最後の晩餐より
私は修復した新品でも良いと書いたが、最後の晩餐はともかくもモナリザは描かれた当時はこんな風だったとして修復者が今更眉毛を書き足すことはしないだろう。何故なら修復された時から年数を経た今となっては今のモナリザが皆好きだからじゃないかな。それが例え修復の時の間違い失敗であったとしても今じゃそれが本物なんだから。