人の土俵で褌を取る

気になったニュースの備忘録+α

年金手続き

年金停止の手続きをしようと区役所出向いた。年金事務所に行ってくれと言われ年金事務所に行った。戸籍簿抄本等の書類が必要と言う。区役所に行って該当書類を取り年金事務所に行った。ある書類に代わる書類を作って持って行った。その書類には説明と「問題発生した時には全責任は自分にあり責任を持って解決に当たる」とまで記してある。そんな書類より町内会長、民生委員の記名押印が必要だと言う。その方達は内容を知らない。理由を言って頼めばとにかく盲判を打ってくれるだろう。それか一人だけ近所の人に話したことがあってその人なら知っていると言えるかどうか分からないけどその人なら押印してくれるかもしれないと話したら、それでいいですから貰ってきてくださいとのこと。
後日何か問題が発生した時にその書類を以て年金事務所の免責と責任回避をするためだけに必要な書類をこっちが時間を使って手土産を買って頭を下げて何も知らない近隣の人に面倒をかけることになる。そんな書類をどうしても必要だと言う。
今日年金事務所に出向いて手続きを完了した。担当してくれた窓口の人に文句を言っているのではない。その上司と年金機構のシステムに文句を言っている。最初の区役所の時点で必要書類が言えないのだろうか、年金事務所はオンラインでそれを取れないのだろうか。仕方がないか。この前までお袋誕生日が近づくと国民年金、社会年金の両方から一通ずつハガキが来て区役所に行って生存していることを証明してもらって返送しせいと言われていた。何じゃこりゃ。
腹も立っているので文章が揺れているし滅茶苦茶。

2012年12月5日追記

橋下徹@t_ishin

2012年12月05日(水)04:46:31〜
それと政治資金収支報告書もバカみたいな形式的ルールのオンパレード。これでまた役所組織は肥大化。世間では考えられないルールばかり。こんなしょうもないことのために、いったいどれだけの役人が動いているか。もっと本質的なこと、政治家の資金を透明化する、という点に力を入れろと言うんだ。
とにかく日本の行政体質は、書面主義、形式主義。これさえやっていれば、自分たちの責任は免れるという発想で官僚組織はルールを適用する。法の趣旨が何なのかを追求しない。政治資金収支報告書のバカみたいな形式主義はあきれるばかり。選挙の収支報告書も。こういのも政治家が変えないと。
今までの政治家は、選挙運動の収支報告書、政治資金の収支報告書の、バカみたいな形式主義、書面主義をバカだと感じない。それくらい世間の感覚がない。日本の社会は、一事が万事これ。そして閉塞感漂う社会になっている。これくらいのルールを正せない政治が、世の何を正せると言うのだ。
そもそも選挙運動収支報告書、政治資金収支報告書のバカらしい形式主義のおかしさすら感じていないのだろう。断っておくが、政治家の金の流れは徹底して明らかにすべき。ところが今のルールは、そうなっていない。肝心のところはザル法。そしてどうでも良いところだけバカみたいに形式的に厳格。
そしてこの形式主義、書面主義は、どんどん役人の仕事を増やす。どんどん役人を必要とする。そしてその仕事は、ほとんど責任の伴わない形式的な作業。日本の行政組織は一事が万事こうなっている。だから肝心の国民の利益を守れない。典型的だったのは原発行政。膨大な書面を事業者に求める。
そして形式的チェック主体。それで、原発事故を防げなかった。このような日本の行政体質である以上、原発を抱えることはできない。裁判所も書面主義を改めようとして苦心している。日本の行政も、その思想、哲学、体質から変えていくべきではないか。書面主義、形式主義は、行政にとって一番楽。無責任
このような行政哲学を変えていくのも、政治しかない。これまでの政治は、変えられなかった。一気に変えられるわけがない。戦略は細部に宿る。公選法、政治資金・選挙運動収支報告書のバカみたいな形式主義を変えるところから一歩踏み出すべきだ。

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