山田卓(たかし)
訃報:JPS設立の功労者、山田卓氏(元名古屋市科学館)が亡くなられていた
名古屋市科学館の元天文主幹であり、JPS立ち上げにあたって尽力し、 プラネタリウムをはじめとする、天文、科学教育に多大な貢献をしてきた サイエンスライターの山田卓(たかし)氏が、さる3月7日、 ガンにより亡くなった。69歳だった。
山田氏は1934年生まれ、愛知学芸大学(現愛知教育大学)を卒業後、 科学雑誌の編集者を経て、1962年のオープン時より名古屋市科学館に勤務、 種々の工夫で日本一のプラネタリウムを育て上げた立て役者となった。 また、独自のイラストを使った著作も多く、地人書館から刊行された 「ほしぞらの探訪」や「星座博物館」シリーズは、愛読者も多い。
JPS設立の1992年前後、前駆組織である全国プラネタリウム連絡協議会 から、全てのプラネタリウムが参加する組織JPSへの改組にあたり、 全国をかけまわって精力的に調整を行って、新組織への脱皮を成功させた。
最近では、全国のプラネタリウムや公開天文台の委員や顧問を歴任され、 かつ、ご自身も「大人のための実験プラネタリウム」など、さまざまな形で プラネタリウムの新しい地平を切り拓く活動を行っていた。
ご冥福をお祈りいたします。
(2004年4月記)
JPS日本プラネタリウム協会 ホームページ
DATE:2010/04/25 08:54
URL:http://www.planetarium.jp/pub/topics/2004A/200404e.html
1993年11月06日の水星の日面通過
その日は晴れていて、そう言えば科学館には太陽望遠鏡があったなと思い出し、お腹の大きくなった家内を誘い急遽科学館に行った時の写真。
山田卓(たかし)さん
私「山田先生ですよね、写真撮っていいですか?」
山田先生「はい・・いいですよ(笑)」
その時すぐ脇に居た科学館の学芸員さんも笑って写真に入らないように山田先生から離れてくれた。
家内が一緒に写っていないのはちょうどその時便所に行っていて、流石に山田先生に「家内が来るまでちょっと待ってください」とは言えなかった。
この時も偶然だったけど、昔御嶽山に遊びに行った時喜多郎の野外コンサート*1があると聞き、その会場の広場*2に行くと偶然天体観測会をやっていて、そこでマイクを取っていたのが山田先生*3だった。