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『月曜美人は私の母』 『杏っ子』で犀星あこがれ 

【北陸発】2009年1月14日

写真 「杏っ子」の月曜美人のモデルとされる野村芳子さんの鮮明な写真=室生犀星記念館提供


写真 室生犀星

遺族の野村欽一さん金沢の記念館に写真
 今年生誕百二十年を迎える金沢市出身の詩人・小説家室生犀星の長編自伝小説「杏(あんず)っ子」(一九五七年刊)の主人公があこがれた女性教諭「月曜美人」のモデルとなった女性の写真が、女性の遺族から同市の室生犀星記念館に寄せられた。月曜美人のモデルの鮮明な写真が明らかになるのは初めて。 (報道部・遠田英樹)

 「杏っ子」は一九五六年十一月から翌年八月まで東京新聞で連載。関東大震災のため故郷・金沢に身を寄せた新進小説家、平山平四郎が、かつて郊外の金石(かないわ)の登記所勤務時代、乗合馬車で月曜日ごとに胸躍らせた魅力的な小学校教諭を思い出し、その嫁ぎ先を突然訪れて「月曜美人」と再会を果たす。

 犀星は随筆「春さき」(「魚眠洞随筆」、二五年刊)でも「その朝ごとに美しき小学校教員の乗り合わせるなりけり。あとにて人に聞きけるが平岡と云(い)へる人なりけんとなん」と書いている。

 昨年九月、同記念館に「月曜美人はおふくろです」と、長男で名古屋市中川区の内科医、野村欽一さん(87)=金沢市出身=が名乗り出、写真や資料を提供した。記念館によると、野村さんの母親の芳子(よしこ)さん=八五年九十五歳で死去=は旧姓平岡。石川県立高等女学校、県師範学校卒業後、〇九(明治四十二)年四月から当時の同県石川郡大野町尋常高等小学校訓導(教員)を務めた。

 犀星は金沢区裁判所金石出張所に〇八年十二月から翌年九月まで勤務しており、時期は符合する。芳子さんはその後結婚し、一男四女をもうけた。

 野村さんの妹の古田悦子さん(84)=東京都町田市=も「姉(故人)から、母は月曜美人のモデルだったことを知っていたと聞きました」と話す。

 記念館の笠森勇館長によると、これまで芳子さんの写真は、新保千代子・元石川近代文学館館長(故人)の「室生犀星ききがき抄」(六二年、角川書店刊)に掲載された小さく不鮮明な集合写真一枚だけ。「写真は鮮明で三十代と思われるが、犀星の焦がれるものを持った聡明(そうめい)な月曜美人のイメージにぴったり。犀星の美に対する飽くなき追求を感じた」としている。

  室生犀星  1889〜1962年。現金沢市千日町生まれ。21歳から上京、帰郷を繰り返し、「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」など詩人として出発。萩原朔太郎北原白秋芥川龍之介らと出会い、「性に眼覚める頃」「あにいもうと」など小説も執筆。戦後も「杏っ子」「我が愛する詩人の伝記」「かげろふの日記遺文」などで高い評価を受けた。